Unlimitedに上機嫌

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『ボブという名の猫』をただの感動作だと思えない「生きづらさ」

年に1本、「感動の実話!」というキャッチコピーの映画を見たくなる時がある。同居人が実家に帰っていて人恋しくなったのかもしれない。お湯につかりながら、こちらの作品を見始めた。

ホームレスミュージシャンと猫の出会いと生活を描いた、実話に基づく感動作。舞台はロンドン。主人公はドラッグ中毒者で、更生プログラムを受けながらストリートミュージシャンをしていた。ギター一本で食えるわけもなく、日々寝床と食料を探す日々。

ある日、彼に転機が訪れる。更生プログラムの担当者が、彼のためにアパートを用意してくれたのだ。「必ず報いる」と涙を浮かべ、主人公はホームレスを卒業する。新居で久しぶりの温かいシャワーを浴びていると、家の中から物音が聞こえてくる。せっかく寝床が見つかったと思った矢先の強盗かと、恐る恐るシャワー室を後にする。そこにいたのは、トラ柄の野良猫。キッチンの窓の隙間から入ってきたオス猫は、腹を満たした後も一向に出ていこうとしない。ここから、ドラッグ中毒者のシンガーと野良猫の共同生活が始まる。

 

この作品は、イギリスでベストセラーになった本が原作となっている。現代の”The cat named Bob”は、路上生活をしていた男性が実体験をもとに書き上げたノンフィクションノベル。相棒の猫を肩に乗せ、雑誌を売ったり歌を歌うことで、SNSYouTubeで人気を集め、書籍化、ベストセラー作家という成功を手にする。

ボブのかわいらしさ、彼を家族として扱う主人公の愛、彼らを押し上げようとする周囲の人々。家には1人でいたこともあって、キャッチコピー通り感動した。しかし、客観的に観察する自分もいて、強く疑問に感じたことがある。この物語は、日本でも再現できるかというもの。路上生活を送るシンガーは、たぶん日本にもいる。日本のストリートミュージシャンは、スターを夢見る比較的恵まれた若者という印象はあるが、中にはギター一本で過酷な現実を生きている人もいても不思議ではない。

もし、映画の主人公のようになシンガーが日本にいたとして、彼は日本で成功を手にすることができるだろうか。ベストセラー作家になって自宅を持つとはいかないまでも、路上生活を卒業して社会的な注目を得る。これを可能にするためには、絶対に必要なものがある。浮浪者を押し上げようとする世間の存在だ。

この作品を見た人が、抱くのは「もし、ホームレスになったらどうしよう」というものだ。凍えるような気候と飢えをしのぐためにゴミ箱を漁るなど、直視するのも辛い路上生活のリアルが描かれている。実話だと分かっていながらも、遠い外国の話だと言い聞かせて辛さを濁そうとする。しかし、日本でもホームレスは身近にいる。阪急デパートでは、クリスマスでにぎわう人たちとベンチで休息するホームレスを、つい先ほども目にした。そこは彼らの寝床であることが認知されているため、ほど隣で待ち合わせする人もいる。洋画では、浮浪者に小銭を投げるという描写が結構見られる。この映画でも、道端に寝転ぶ主人公の上着には、いくつかのコインが無造作に置かれている。しかし、今日デパートで見た路上生活者にお金を恵む人は、誰一人いなかった。長時間にわたって観察していたわけではないが、過去何度も通ったことがあるが、そういう場面を見たことがない。

ここで言いたいのは、日本人は向こう(特にキリスト教圏)ほど、弱者を助けようとする精神性が薄いのではないかということ。自分を含めて、ホームレスを見て感じるのは、「かわいそう」という感情のみで、「わずかだけど」と小銭を恵むもう1アクションまでは距離が遠い。先日記事にも書いた『生きづらい明治時代』という本の中で、明治時代に「普通に働けばそれなりの豊かさを手に入れることが出来る。貧しいのは、本人の努力が足りないからだ」という価値観が形成されたと書いてある。

primereadingss.hatenablog.jp

この精神性は、令和時代にも残っているのではないか。ホームレスを見て可哀そうと感じると同時に、どこかで「彼らはちゃんと努力(仕事)していないから仕方ない」と考えがあるのではないだろうか。もしそうだとすれば、映画『ボブという名の猫』で見られる、路上生活者に恵んだり、チャリティーペーパーを買ってあげたりする、弱者を押し上げようとするムーブメントは起こらないのではないだろうか。

彼らが自転車いっぱいに積み込む空き缶が、どれくらいの金に変わり、どれほど彼らの飢えをしのぐことになっているのか分からない。「ゴミを集める体力があるのなら、普通に働いたらいいのでは?」という考えは、こっち側の正論であり、そうできない何かがあるのかもしれない。

感動しました、で終わらせればいいところを、「日本人は薄情だ」と捉えられかねない主張をせずにはいられない辺りに、路上生活者とは違う生きづらさを感じる。