Unlimitedに上機嫌

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『ONCE ダブリンの街角で』を見て

友人が紹介してくれた、『ONCE ダブリンの街角で』を見た。
何やら、オシャレなタイトル。「英単語+地名+日本語」型のタイトルは、だいたいオシャレで泣けると相場が決まっている。定評通り、泣きはしなかったが感動できて同時にオシャレも味わえた。
舞台は、ダブリン。路上ミュージシャンの主人公は、掃除機の修理屋の息子。父との二人暮らしで、掃除機を直してはギターを持って街に出る生活を送る。掃除機の修理がビジネスになることから、アイルランドの景気が悪いことを示している。路上でも、ギターケースに溜まった小銭を盗もうとする浮浪者がいたりして、スターを目指す日本の路上ミュージシャン像とはかなり違う。
ある日、雑誌を売り歩く女性に声をかけられる。自分の曲を褒めてくれるが、「誰に書いた歌なの?」と踏み込んだ質問を浴びせてくる。めんどくさそうにいなそうとするが、掃除機の修理を依頼されたこともあり翌日も会うことにする。翌日、女性は掃除機を引きずりながら現れる。約束を反故にしようとするが、相手のペースに押し切られ一緒に昼食を取ることに。ランチにがっつく女性を見ても、アイルランドの経済が芳しくないことが見て取れる。その後、二人は女性が通う楽器屋に向かう。そこで、二人は導かれたようなセッションを行うのだった。
この作品は、ミュージカル映画ということになるのだろう。ハリウッド的な華やかさもポリウッド的な陽気さもない、リアルな世界に根付いたミュージカル。まるでホームドラマの1シーンかのように、ヌルッと始まる。どこの制作かは分からないが、アイルランドが持つ陰湿さと広大さを見事に映し出している。
この映画を見ていて、音楽ってこんな風に生まれるだろうなと何度も感じさせられた。言語化するなら、徹底的な日常性にあるのが音楽なのだと。主人公もヒロインも、即席で集まったストリートミュージシャンも、誰もがリアルを生きている。決して恵まれず、明日がどうなるか分からない状態にある人たちばかりだ。なぜ、境遇も背景も違う彼らが集まるのか。なぜ、面倒くさそうにレコーディングを立ち会った男性と彼らは海辺で遊ぶことになったのか。全ては、音楽がもつ必然性。この作品で流れた曲やパフォーマンスが、技術的にどうなのかはわからない。もしかしたら、世界的に有名なバンドをモデルにした実話なのかもしれないし、素人に毛が生えた程度のレベルなのかもしれない。しかし、一つだけはっきりしているのは、彼らの中に音楽が息づいているということ。
日本でも、繁華街では路上で音楽を届ける人がいる。ほとんどの人は見向きもせず通り過ぎていく。誰の耳にも届いているはずだが、足を止めて聴き入る人は少ない。聞き流す人と立ち止まる人には、どんな差があるのだろうか。単に音を求めているのではない。誰かがまさにその場で作る音を求めているのだ。この映画で流れる音楽には、そうした人の心を見たような気がする。
最後に、タイトルにある「ONCE」について。この単語には、大きく2つの意味がある。「かつて」と「一度」。主人公の二人は、最終的に「かつて」愛した人たちとの再会を果たす。女性の方は離れていた旦那と一緒に暮らす様子が映され、男性はロンドンの元交際相手に会いにいく。彼らのダブリンでの出会いは、それぞれの「かつて」に気づかせる始まりだったのかもしれない。そして、彼らが「一度」出会ったことも、いずれ「かつて」となる。その後、彼らは「かつて」の彼/彼女との時間とともに生きていく。