Unlimitedに上機嫌

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「第一線で活躍」していれば、武勇伝は受け入れられるのか?

某ラジオ番組で、パーソナリティとゲストが「昔話をするのはイタイのか」について話していた。出演者の2人は、同世代で40年近くそれぞれの分野で活躍し続けている超一流だ。「あんなこともあったね」「あの時代は良かった」など、話は終始過去についてのものだった。世代が違うので話している内容が分からないものはたくさんあったが、退屈することなく聞いていた。昔話に偏りすぎてしまったことに気づいたパーソナリティは、「こんな風に昔話ばかりすると若い人老害だと思われるんだよ。それに、イタイとも。」と言った。それを受けて、ゲストは「大丈夫じゃない、私たち第一線で活躍しているし。今にも消えそうな人が過去の話をするのはちょっとあれだけど」と反応した。ネット民がヨダレを垂らして飛びつきそうな発言だなと思った。実際、ネットニュースになったのかは確認していない。なぜなら、この発言に対する自分の意見を書きたいと思うからだ。

前職では中小企業の経営者とお話するのが仕事だった。名目ではアドバイザーという立場で訪問していたが、プライベートな話で終わることも度々あった。アドバイザーである自分の実力不足が一番の理由だったが、過去の話を誇らしげに語る社長さんをいなすことが出来なかったのも大きい。どんな会社にも、羽振りの良い時期を経験している。特に高度経済成長期を経験する50年企業やバブル期を経験する30年企業のトップは、「あの時代は本当に良かった」エピソードを必ず持っている。コロナによる低迷を経験していることもあって、そうした武勇伝を語ることで自分に自信を取り戻したかったのかもしれない。まだ新人だったこともあって、どの話も面白く聞こえた。ただ会うたびに同じ話をされると、少しずつ飽き始める。これは、戦時中や戦後の話を繰り返し聞かせてくれた祖母にも当てはまる。

昔話に関する昔話をしすぎてしまった。さて、誰が話すかで昔話を許容度合いは変わるのだろうか。「第一線で活躍」を定義するのは難しいが、一旦「その分野で知らない人はいない且つ現在目覚ましい実績を残している」と考えよう。分かりやすい例が、芸能界。旬の移り変わりが早く最も競争率の高いジャングル。テレビで見ない日がなかった人が、翌年全く見なくなることが頻繁に起こる世界。Abemaの人気バラエティー番組「しくじり先生」は、過去ブレークした芸人やタレントが自身のしくじり話をする番組。YouTubeでも切り抜き動画が多く再生される人気コンテンツだが、これはしくじりをテーマにしているから成立する。しくじりに至るまでに華やかな時代を語ることもあるが、あくまでメインは「落ちた」過去話。もし、「あの時はこんなに凄かった」というだけだったらどうだろうか?たぶん、「へー、そうなんだ」と思われて終わるだろう。このことからも、落ち目にある人が過去の栄光を話しても「イタイ」説は成立しそうだ。

では、今をときめく芸人が過去の栄光を話す場合はどうだろうか?例えば、ダウンタウン。彼らはデビュー以来30年以上売れ続けている芸能界のトップ。先日発表された「好きな芸人ランキング2022」でも4位にランクインするなど、大御所となった今でも若い世代からお年寄りまで幅広い世代に支持されている。ここで、彼らとほぼ同時期にデビューしたとんねるずを取り上げたい。彼らもつい最近までテレビ界をけん引した人気コンビだが、フジテレビの低迷と共に第一線から退いた。特定のメディアに依存しすぎたという外的要因も大きいが、彼らの笑いが通用しなくなったと見るのが正しいのではないだろうか。彼らの冠番組とんねるずのみなさんのおかげでした」は、男気じゃんけんや「○○を買う」など、金にモノを言わせるタイプが多くを占める。テレビ離れと共に制作費の縮小によりそうした番組ができず、石橋はYouTubeに、木梨はアート方面に主戦場を移さざるを得なくなった。華やかなセットに今を時めくタレントを呼び、とんねるずがマウントを取る。こうした前時代的な「過去」に頼ったことが、彼らの笑いが通用しなくなった要因ではないだろうか。このことから言えるのは、どれだけ力を持った第一人者も実績や経歴などの「過去」に頼ったやり方ではウケなくなるということ。

そもそも、日本人は「謙遜」や「素朴」を好む。有名人に好感を持つのは、超ど級な金遣いをした話よりも庶民的な生活を送る話を聞いた時。有吉弘行マツコ・デラックス内村光良など、長く芸能界で活躍し続けている人たちは、共通して庶民的な生活スタイルや金銭感覚を示し続けている。