Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

「誰にも読まれていない」と言いながら、実はめっちゃアクセス数を気にしている件

 告白したいことがある。これまで、誰にも読まれていないと卑下してきた。

誰にも読まれていないことを良いことに、どうでも良い言い回しに200字以上を費やしている。

出典:長年コンプレックスだと思っていたものは、武器だった。 - 無職とPrimeReading→Unlimited

誰にも読まれていない(前提)ので完全なる自分用だが、これまでの記事を振り返ろうと思う。

出典:過去100記事を分析して、間違って使いがちな文法を一覧にしてみた。 - 無職とPrimeReading→Unlimited

このブログは、「誰にも読まれていないという前提のただただ書き殴る」ために存在しているので、おすすめの店舗紹介はしない。

出典:最低なストローと最高のペーパー - 無職とPrimeReading→Unlimited

 だが、本当に「誰にも読まれていない」と思ってはいない。もっと分かりやすく言おう。超読まれたいと思って書いている。記事をリリースした後は、自動的にアクセス状況を見に行くし、1日30回はアクセス数を確認する。「10個もあげたのにたったの6!?」なんて、日夜数字に振り回されている。

 このブログを始めたのは、数字ファーストで運用していたメインに疲れたからだ。見られる、儲かる内容を書かないと、と考えようになってから書けなくなった。初心者ブロガーが陥りがちな小さな挫折だと思う。書かなくなってからも、日常の中には「書けそうな」もので満ちている。マックで見かけた変なおじさんとか、ハマってるユーチューバーとか。でも、収益や一貫性を考えると、それらのことは「書くべきではない」ことがら。書きたいと気持ちはあるのに、無理やり蓋をする良くないループ。知らず知らずのうちに、自分は書くことが嫌いだと信じ込ませる。これまでの人生で、辞めてきた数々のものは、この強迫観念から抜け出せずに辞めてきたのだと思う。テニスや筋トレ、演劇など。

 これまで、いろんな局面で才能とかセンスとかのせいにしてきた。だが、27年生きてきたおかげか、それらがどういったものなのかを何となく分かるようになってきた。才能とは、やり続ける力。センスとは、やり続ける間に磨かれるもの。最近になって、自分は書くのが好きだと気付いた。天職と呼べるだけの時間も苦労も実績もまだないが、一生をこれをやり続けたいと思っている。この願いが本物であるかは、時間の経過を待つしかない。自分には書く才能があると証明したい。自分は書き続ける力があると証明したい。そこで、とてもシンプルな目標を立てた。1日1万字。スラムダンク桜木花道に課された1日3千本に比べれば、ゆるい目標だと、自分では思っている。何だかんだ、まだスラムダンクの映画見に行っていない。今週末はアバターを見に行く予定だから、結局サブスクに降りてくるのを待つことになりそうだ。桜木は、2万本シュートをやり切った。だからこそ、彼の「天才バスケットマン桜木花道」は、説得力があるのだ。

 書き続けるうえで、大きな障害と立ちはだかる2つのもの。アクセス数とYouTube。人とは勝手な生き物で、いつだって労力に見合った報酬を求める。2時間以上かけて記事を書き上げた時には、少なくとも100人に見られて当然だと思うように。しかし、メインサブ含めて500以上の記事を書いて分かったことがある。かけた労力と得られるリアクションは、必ずしも比例しないことを。もっと言うなら、死力を尽くした記事ほど見られない。反対に、20分足らずで完成させたクイズが定期的にアクセスを集めたりする。これは、不合理とは呼べない。単なるセンスの問題だ。検索上位には、内容スカスカなサイトが数多く存在する。「自分の方が良い記事を書いているのに」と、感情的になることがセンスのない証。2次元のイケメンセッターはこんな名言を残している。「才能は開花させるもの。センスは磨くもの」。画面の中の高校生ながら、真理をついた言葉であると感心する。

 集中力には限界がある。メンタリストDaiGoの本には、一般人は1日3時間くらいしか集中していないと書いてあった。下を見て頑張れるひねくれ者な自分は、この事実に度々鼓舞される。ちょっと早起きしてカフェで集中する。たった1時間でも、集中すべき残り時間はたった2時間。10時間のうちの2時間。余裕じゃないか、と。一度余裕を持った日は、たいてい6時間以上集中できる。自分は、これを「棚ぼたな1日」と呼んでいる。集中できない原因は、たいていYouTubeにある。「世界はGoogleに支配されている」と嘯く陰謀論者がいるが、彼らはある種の真理を説いている。カフェや公園などで見かける世の中の「サボる」人たちは、たいていYouTubeを見ている。自分も、過去どれだけの時間を奪われてきたか分からない。たまにスクリーンタイムを覗くとゾッとする。口座残高以上に、目を覆いたくなる数字の力を持つ。アプリをアンインストールする、見れるのは登録したチャンネルの新着動画のみなどのルールを設けたりしたが、抜本的な解決には至らなかった。そこで、発想を変えてみた。目的を「見ない」ではなく、「書く」にしたのだ。動画を見るたびに、1本記事を書く。シンプルな「制約」と「誓約」。これにより、ある程度尺のある動画を見るようになる。ある程度の分量を記事を書きたいと思うからだ。弱小ブログにも、それなりの分量と内容のあるものを上げなければという使命感がある。尺が長くなったおかげで、見る本数が減った。そして、トータルの視聴時間も減った。まだ実践して間もないので、信頼性としては低い。少なくともこの5日間毎日1万字は達成できている。3日坊主は超えた。これは、とても大きな成功体験だ。ここまでで2,300字を超えているので、6日目も達成可能そうだ。

 まるで、啓発本ような意識高い系なことを書いた。だが、それは今日だからだ。明日には、いや今日の午後には、全く違う感情や考えになっているだろう。それでいい。これまでもそうなってきた自分を見てきたし。ただ、その気があるうちはただ書いていようと思う。