Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

長年コンプレックスだと思っていたものは、武器だった。

 「子どもの頃に誤解していたことは?」という奇妙な質問をされた時、自分は「苗字が珍しいことは不幸である」と即答する。

 自分の苗字は、全国に300人ほどしかいないそうだ。ネット情報なので信頼できるかは分からないが、これまで親戚以外に出会ったことはない。自己紹介すると、十中八九「珍しいね」と返ってくる。いや、十中八九ではなく「十中九点九」。漢字表記は分かりずらいので、打率で言うと「10打数9.9安打」。すぐに野球で言い換えるのはおじさんの特徴な気がするので、「10人中ほぼ10人」と言い換えよう。誰にも読まれていないことを良いことに、どうでも良い言い回しに200字以上を費やしている。日常的会話で出さないようにしないと、と自戒する。

 「珍しいね~」とリアクションに対して、こちらは「同じ苗字の人に出会ったことありますか?」と返す。その問いに「会ったことあるよ」と返ってきたことは、まだない。2年間の会社員時代には、年間500人とこのやり取りをした。それでもなお、一度も同じ苗字に出会ったことないのだから、相当珍しいことは伝わると思う。

 学生時代は、この珍しい苗字がコンプレックスだった。何度も改名を考えたし、両親に「どうして、こんな苗字なんだ」と悪態をついたことも数知れない。(父親は怖いので、嫁いだ張本人である母親にだけだが。)どうしてそこまで憎んでいたかというと、いじられやすい苗字だからだ。シンプル且つなめやすい漢字一字。これまでいじられすぎたからかもしれないが、漢字一字は権威や重厚感に欠ける。ポピュラーな「堀」や「菅」も、どこか軽い印象を受ける。漢字一字を引っ提げながらも、社会的に成功している人もいる。堀ちえみ菅義偉。先に出したのが「堀」と「菅」だったから、微妙(?)な例になった。圧倒的に漢字二字が多数派なので、成功している人の母数が少ないことも一因にある。だが、同じく三文字苗字は、重厚感や威厳がある。北大路や道明寺、五十嵐など、マイナーメジャー問わずゴツゴツとして力強い。

 軽薄に見られがちな一文字に加えて、いじられやすいシンプル単語。「そりゃ、標的になるわ」と、27年の鬱憤を込めてツッコんでみる。だが、社会人になって、いじられることは悪いことではないと学ぶ。ビジネスでの初対面は、学生時代にはない独特な距離感がある。踏み込んでいいのか、良くないのか、お互い見定めながら名刺を交換する。サラリーマンを始めるまでは、名刺交換なんて古臭い文化なくなればいいと考えていた。だが、変わった苗字を持つ自分は、名刺交換が最も輝く瞬間であることが判明する。たかが紙一枚の交換。記載されているのは、会社名と名前ぐらい。ファーストコンタクトで、会社名の由来を聞く人は少ない。それほど深い意味がない場合も多いになるからだ。しかし、名前は出身地に派生させることができる。自分の場合も、「珍しい」の後には「お生まれはどちら?」と聞かれる。これまた幸運なことに、出身地はあるもの生産地として有名。昔は田舎だと引け目に感じていたが、一大特産品に救われる。特に年配の人の食いつきが良く、前職時代は本当に助かった。自治体に感謝状を書こうと思ったぐらい。

 「珍しい」「人と違う」「変わってる」というのは、短所ではなく長所である。このことを学生時代の自分に言っても理解できないだろうが、今は強く感じる。世間が反応してくれるものは、すべて武器。この1年、全くと言っていいほど新しい出会いはないが、またその時が来たら臆せず武器を振るいたいと思う。