Unlimitedに上機嫌

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2022年に読んだ「マイベストブック」10冊

今年の残り10日余り。12月はネタに困らない。なぜなら、あの手この手の「今年を振り返る○○」があるからだ。

今回は、本篇。2022年に読んでよかった本を10冊紹介します。

1.『ジュラシックパーク』マイクル クライトン

今年読んだ小説の中で、ぶっちぎりのNo.1。好きなYouTubeチャンネルで紹介されたのをきっかけに、ブックオフを3店舗巡って手に入れた本。

スピルバーグの映画は何度も見たことがあるが、小説が原作だったことは最近になって知った。ただ目の前で展開されるド派手なシーンにしか注目がいかないので、スピルバーグが脚本も監督もやったとばかり考えていた。原作至上主義者のように語りたくないが、映画版とは全然違う。映画版をディズニーランドとするなら、小説版はディズニーシー。恐竜やパークの壮大さなど体感的なスリルを楽しむのが映画版で、恐竜が生まれた背景や知能、パークが誇る科学的技術を楽しむのが小説版。特に、科学や数学を専攻した理系人は、小説版にドハマりすること間違いない。自分は数学ⅠAでいっぱいいっぱいの文系出身だが、それでも感覚的に楽しめた。「カオス理論」や「遺伝子組み換え」など小難しい言葉や数式が並ぶが、分かりやすい文章で良い感じにヒントが散らばっているので謎解きしながら楽しめる。

小説を読んでから映画を見ると、よりジュラシックパークの世界に没入できる。「パークのこの施設はこの技術を搭載したものだな」などと、かっこつけたい相手と見る時に通ぶれるかもしれない。必ずしも良い評価を受けるとは約束しないが。

2.『書く習慣』いしかわゆき

今年読んだ中で、最も読みやすかった本。この本をい紹介する記事をTwitterに投稿したら、著者のいしかわゆきさんからメッセージが届いた。そういうことも含めて、思い出深い一冊。

自分はブログを始めた頃に、書く技術を求めて手に取った。結論から言うと、この本ではライティングスキルなどは学べない。書くってこんなに良いこと、書くってこんなにシンプルなこと、書くってこんなに素晴らしいこと、のようなマインドが書かれている。正直それほど新しいことは書かれてないが、書くことに悩んでいる人や何となくモヤモヤしている人にそっと寄り添ってくれる、いつでも手に取れる場所に持っておきたい1冊。

この本が教えてくれたのは、ただ想いのまま書けば良いということ。上手とか、意味があるとかは、読んだ誰かが決めてくれるものだから、ただ文字にすれば良い。書く習慣とはただ書き続けることで、それ以上でもそれ以下でもない。半年間ブログを続けれられたのは、この超シンプルな教えのおかげだと思っている。

3.『恋をしよう。夢をみよう。旅にでよう。』角田光代

雑記を始めようと思ったきっかけの本。これまでにも作家さんや芸人さんのエッセイ本は読んだことがあるが、ブログを始めてから読んだこともあって、こんな風に日常を書きたいと目標としている1冊。

書かれたのは2009年。10年以上も前だから、出てくるのはスマホではなくガラケーだったりしてどこか懐かしい。この10年で変わったこともたくさんあるんだと気付く一方で、人間の精神性や民度みたいなものはちっとも変わっていないとも思う。この当時もかなりの売れっ子だったと思うが、目の付けどころがどこまでも庶民的で、それが一般人の自分でも書けそうだと思ってしまう要因でもある。

ペン1本(PC1台)あれば、価値を生み出すことができる。自分の目指すべき理想を照らしてくれた気がする大切な1冊。

4.『センスは知識からはじまる』水野学

「くまもん」などを生み出した人が書いた本。アイディアは、自分のなかにある引出しからしか生まれないことが書かれている本。

自分は、「センス」という言葉・概念を誤解していた。才能などと同じく、持って生まれた変えられないものだと。しかし、センスは磨くことができ、才能はやり続けることだと考えを改めてくれた。水野さんは毎週いろんな雑誌を読み漁る時間を設けているらしい。自分が興味のない分野やジャンルも関係なく、ただインプットするそうだ。既に豊富な引出しを持っている成功者ですら、日々このような努力をしている。

ネタがないと嘆いてる時は、インプットする努力を怠っている証だと考えるようになった。知らない人に繰り返し尋ねても答えが得られないように、空っぽの引出しを覗いても書きたいことは一向に見つからない。ネットの中にも路地裏にもネタは転がっている。センスは泥臭く体を使って磨くもの。

5.『フリースタイル家族』

2022年の終盤は、コミックエッセイにハマった。漫画と活字の良いとこどりをしたジャンルに魅かれるきっかけとなったのが、この本。

内容は、父母息子3人家族の日常。誰もが「あるある」とうなずきたくなる日常的なシーンをコミカルに、時にシニカルに描く。

著者がTwitterで有名になっただけあって、育児や家事の疑問はツイッタラーに聞くという姿勢が絶妙。女性であれば妻心を理解しない旦那への共感を感じるだろうし、男性であれば女性の本音を垣間見ることができる。自分は独身男性なので、将来の夫婦生活や育児に備えてメモを取りながら読ませていただいている。

「日常をオモロク描く」という、まさにコミックエッセイが持つ面白さが凝縮された一冊。

6.『家康、江戸を建てる』

ジュラシックパーク』を紹介した、同じYouTubeチャンネルで取り上げられていた一冊。江戸幕府が建てられたまで、江戸時代初期を描いた小説。主人公は家康ではなく、江戸幕府の成立に欠かせない裏方の人たち。利根川を曲げた人や江戸城の石垣を立てた人など、歴史の教科書には乗らない地味が歴史上超重要人物たちの苦難に満ちた歴史を描く。

主人公は町人や下級武士だったりするのだが、彼らを各プロジェクトの責任者に取り立てる家康の眼と思い切りがすごい。階級が全ての江戸時代で、今よりもずっとあり得ない人事を敢行するリーダー。マネジメントや人材採用の観点でも、多くの気づきを得られる1冊。

7.『星の子』今村夏子

芥川賞作家の代表作。怪しい新興宗教にのめりこむ両親とそれを客観視する子どもの物語。夫婦で公園で水浴びをしたり、宇宙食みたいなものを食べたり、身近にありそうな気持ち悪さを描く。

最近、いろんなところにセミナーを聞きに行くようになった母を思いながら読み進めた。怪しげな壺や水は買っていないが、出不精だった母親が急に活動的になったことに何とか無くヤバいと感じていた。ただ以前よりも生き生きとしているようになった気もするし、何よりよく笑うようになった。他の兄妹には気持ち悪がられるので黙っているが、自分にはセミナーで聞いた話を教えてくれたりしていて、話を聞きに遠出するぐらいならいいじゃないかと思っている。

巻末の小川洋子さんとの対談も面白い。本質的な質問を投げる小川さんと、大御所作家を前にしてもマイペースに気取らない回答をする今村さん。タイプの違う小説家の絶妙な化学反応を感じ取ることができる。

8.『バカと無知』橘玲

これもお気に入りのYouTubeチャンネルで紹介された本。あまり新刊は買わないが、動画を見てすぐにAmazonで注文した1冊。

バカと無知。似ているようで全く別物の2者。バカとは、自分が知らないことを知らない人。無知とは、自分が知らないことを知っている人。世の中のほとんどはバカか無知で、多くの場所でバカに引っ張られている。みたいなことが、興味深い実験やあるあるを交えて書かれている。

この本を通じて思ったのは、知らないことを認める素直さ。そして、知っている人を見極める目を養うこと。誰もがバカや無知であることを想われないように生きている。知ったかぶりや知ったつもりになっている人の中から、真に知っている人を見つけるのは大変。自分が知っている努力をすると同時に、本当に知っている人を見究める目を養う必要があると痛感した。

9.『大どんでん返し創作法』今井昭彦

「面白い文章を書けるようになりたい」と思い始めて手にとった1冊。タイトル通り、この本では面白い物語を書くための方法が書かれている。面白い物語とは、どんでん返しがある創作物を言い、どんでん返しには10つの型のいずれかに当てはめればいい。誰もが知る「フランケンシュタイン」や「狼男」などを例に分かりやすく説明してくれる。

この本を読むようになって、M-1グランプリを見た。決勝進出者のネタを分析すると、どれも例外なく10の型のいずれかに分類することができた。いきなり面白い物語を書くのはハードルが高く挫折し兼ねないので、興味のある創作物を分析することから始めてみるのが良いかもしれない。

10.『異邦人』

人気作家による、京都を舞台にした長編小説。主人公は、銀座で画廊を経営する会社の専務。父親が画廊の社長で、妻は不動産会社の社長令嬢。出てくる全員が金持ちで、美術に造詣のある人たち。出産を機に妻を一人で京都に住まわせることをきっかけに、さまざまなものが壊れ始める。正しくは、既に崩壊の始まっていたものがスピードを上げる。

京都は、学生時代を過ごした思い出の地。人気スポットはもちろん、穴場と呼ばれる神社仏閣は見てきた自信がある。しかし、この本で登場するいずれの場所にも行ったことがない。いや、存在すら知らなかった。異邦人は決してたどり着くことのできない場所。京都にはそんな空間がたくさんあることを思い知ると同時に、そうしたものへの憧れは強くなるばかり。「京都は日本人のふるさと」と言われるのは、京都の街並みを見ると懐かしさを感じるという意味ではなく、遠くにありながら常に求め続ける魅力があるという意味が込められているのではないか。