Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

捨てられないものの「なぜ」を考える

いつも通り、床をコロコロしてクイックルワイパーをかける。寝室を掃除していた流れで、押入れを開ける。夏用のタオルケットや防災グッズが、ハンガー掛けされた衣服の下に眠っている。普段動かすことがないため、この1年押入れの床は掃除していない。そのため、扉を開けたと同時に小さなホコリがひらりと舞う。先日、「大掃除は普段掃除ができない人のラストチャンス」という旨の記事を書いた。

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以下のように訂正したいと思う。大掃除は、普段掃除しない場所をキレイにするチャンス。「大掃除反抗期」は終わったようで、世で認知されている大掃除の意義を見出す。押入れの中身をすべて出しコロコロをしてクイックルをかける。いつもの床掃除と同じ要領で。元に戻すよう際、普段日陰に追いやれられているものたちを眺める。小学校の時に母親が買ってくれた世界遺産の図鑑やこの1年開いていない単行本、同居人が自分の知らないうちに溜めていた紙袋。世界遺産の本は、過去の数回の引っ越しでも捨てようと思って残った品。読み込んだ記憶も枕元に置いて寝た記憶はない。ただ、世界遺産と言うワードに魅力を感じた小学生の自分に親が買ってくれた本。親に買ってくれたものなら、他にも腐るほどある。それらのほとんどは、「親が買ってくれた」という理由で捨てるのをためらわなかった。特別な思い入れの無いこの本を捨てられないのには、2つの理由があると思う。1つ目は、値段。税抜き4000円することは、買ってもらった当時から知っている。書店でレジを通されたとき、「高いけど本当にイイの?」と親に聞いたのを覚えいているからだ。2つ目は、インテリアになるかもしれないという下心。一人暮らしをしていた時は、押入れが狭く本棚があったので、最下段に表紙が見えるようにディスプレイしていた。遊びに来るのは付き合っている彼女ぐらいだったが、飾ることをしない自分が唯一意識して置いていたインテリアだった。しかし、今の家では初日から日陰の存在となった。値段に関する記憶は依然としてちらつくが、もう1つの理由がなくなったことで遂に手放すことに決めた。いや、決まった。

押入れの整理を機に、自分の目と脳は家にある「捨てられるもの」を探し始めた。押入れで見つけた紙袋は、無言で彼女の前に出し廃棄を促した。ネイル中だったため普段見たこともない不機嫌な表情を向けられたが、家からモノが減る快感で満たされていた。人間は、一度スイッチが入ると価値基準が傾く。本来であれば残すものも、一度「捨てたい欲」に駆り立てられると大体のものをゴミ箱に放る。一種のハイ状態になった中でも、捨てられないものがいくつかあった。なぜ、それらを捨てられなかったのか。冷静な状態のいま、考えてみようと思う。

英英辞典

Colinsの英英辞典は、19歳の時に買った。大学の英語の授業で、外国人の先生がおすすめしていた辞書だ。必須ではなかったが、彼に気にいられたい気持ちと英語が楽しくなりかけていたたために4000円ぐらいする分厚い辞書を買った。学歴コンプレックスなど他にも理由があるが、大学編入しようと決める一因となった。人生で最も勉強した20、21歳の2年間は、毎日英英辞典をめくり続けた。どのページにも書き込みがあり、当時の一心不乱ぶりを感じることができる。2年の猛勉強の末、3ランク上の大学に編入できた。学歴をアップデートしたことによる恩恵はまだ感じていないが、英英辞典は人生最大の成功体験を残すシンボルなのだ。いつまでも5年以上も前の成功にすがっているのは情けないと思いながら、もうしばらくこれを手放すことはできなさそうだ。

キーボード

高3の時に買ってもらった電子キーボード。文化祭でピアノの弾き語りをしようと、母親にねだって買ってもらった。「頑張る子には投資する」が口癖だった母は、その時も嬉しそうだった。結局、見せられるレベルに完成できず披露することが出来なかったが、音符シールを張ったキーボードで毎日練習した。長らく使わなかったが、22歳の時好きな子に聞いてもらうためにピアノを習い始めた。毎日のように楽譜を広げ指に覚えこませた。小さなスタジオで演奏を聴いてもらい相手の感動交じりの笑顔を見た時、音楽の魅力を感じた。しかしあれ以来、触っていない。押入れの手の届かない場所に眠る彼は、きっとホコリに覆われているに違いない。

手紙

捨てる必要もない気もするが一応。自分は手紙が書くのが好きだ。決して多くはないが、家族や数少ない友人の誕生日には手紙を送ることにしている。ただその時伝えたいことを伝えるために書くが、相手からの返事を受け取るドキドキ感を味わいたいという下心もある。相手から手紙をもらった瞬間がピークで、9月の記念日に彼女からもらった手紙はまだ読んでいない。彼女もその時伝えたい何かを伝えてくれたはずなのだが、ピークは封を開ける前に迎えてしまっている。本当に失礼なやつだ。ペーパレスやIT化が進む中、手書きを受け取る機会は少なくなる。これからは、相手がわざわざ手間をかけて届けてくれた想いを余すことなく受け取ろうと思う。

メッキの剥がれたコップ

彼女から3年前にもらったコップを使っている。ラスベガスに旅行したお土産で、多分保温機能に優れたステンレス製。表面は茶色の紙(?)でコーティングされていて、3年経ったいま全体の4割がはげ落ちている。飲み口に近い上半分は銀色、下半分は茶色という世界に一つしかないコップにとんでもない愛着を抱いている。これまで使い続けてきたという期間もそうだが、優れた機能性とちょうど良いサイズ感を手放せない。たまに他のものを使うが、飲み口のひんやりとした感じやちょうど飲み切れる収まりの良さは再現できない。ステンレス製だから割れることはないし、間違えてレンジに入れて溶かしてしまうこともないだろうから、徐々に「真の銀コップ」に近づく様を見届けることになりそうだ。

歌舞伎柄のマフラー

家を出るまで一緒に住んでいた父方のばあちゃんにもらった。たしか高2か高3の時だったと思う。歌舞伎柄という若者にしてはシブいデザインは、これまで大絶賛されたことはない。だが、ばあちゃんを彷彿とさせる香りと洗濯するたびに縮んだ愛くるしさがある。今は施設に入って会うことができない婆ちゃんを身近に感じていたいし、何より首元を温めてくれる防寒具として今冬も肌身離せない。