Unlimitedに上機嫌

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「グミは食べ物ではない」と思っていたが、食べてみたくて仕方ない

ふと、自分はグミを軽視していることに気づいた。「突然曲が降りてきた」と語るアーティストの気持ちが分かるように、ふとそのような考えに思い至った。軽視しているが、毛嫌いしているのとはちょっと違う。誰かに1粒あげると言われたら喜んでもらうし、グミ好きとは相いれないと頑なに考えているわけではない。ただ、軽視しているのだ。

グミだけを紹介するYouTubeチャンネルがあるらしい。一時期パートナーがハマっていて、何度か紹介された。薦めるたびに生返事を繰り返すだけの自分を見兼ねて、一緒に見せられたこともある。OL風(主観)の女性がパッケージや成分表示などから丁寧に解説し、食レポする動画だったと思う。それが最初で最後だったのでよく覚えていないが、2,30万人の登録者がいたことに驚いた。コンビニやスーパーではかなりの売り場を割かれているだけあって、世の中にはグミ好きが多いことを理解した気がする。タピオカや高級食パンと同じように、一過性の人気かと思えばそうではない。グミ人気は底堅い。約2年前に紹介してもらったあのチャンネルは、現在進行形で登録者を増やしているのだろう。それでもなお、自分のグミ軽視は止まらない。世間に広く受け入れられるほどに、その傾向は加速する気さえする。

なぜ、自分はグミを軽視するのか。最後のグミ軽視派になった時のために、自分の根っこにある思考を言語化しておきたいと思う。まず、グミは男らしくない。ジェンダーレスが叫ばれるいま、軽率に「男らしさ」と言うべきではないことは分かっている。しかし、グミを手にする自分を想像すると、大切な何かを失うような気がする。それは多分アイデンティティに関するもので、「自分は男である」という自意識を含む。これは個人的な問題であって、グミをカゴに入れる男性を見ても「男のくせに」とは思わない。その人がフェミニンな少年だったら似合うなと思うし、ダンディーな中年だったら可愛いと好感を持つ。ただ、自分のみに違和感を覚えるだけだ。

腹にたまるというのは、1日3回間食をする自分にとって重要だ。こちらの記事でも、「腹持ち」はスイーツの良し悪しを判断する重要な基準で、食べた気のしないものは基本買わないようにしている。

primereadingss.hatenablog.jp

これまで、少なくとも20種類のグミを食べてきたが、食べた気がしたグミに出会ったことがない。「食べ答えMAX」的な売り文句のグミを食べたが、ただ硬いだけだった。また、グミ好きに「グミのどこが好きか」と聞くと、よく「腹持ちがいい」と返ってくる。自分の消化機能が変わっているのか、彼らがみんなダイエット体質なのか、全く共感できないでいる。「ご飯大盛無料」に釣られなくなったとは言え、自分はまだまだ質より量を求めているのかもしれない。

ここまで、「男らしさ」と「食べ応え」というそれっぽい理屈を並べたが、「グミを食べ物だと思っていない」というのが本音かもしれない。こんなことを言うと、グミ好きから総バッシングを受けるかもしれないが、この場くらい本音を語りたい。先ほども書いたが、誰かにもらえば抵抗なく食べる。バラエティーでよく見るコオロギやクモなどのゲテモノとグミを一緒には考えていない。近いところでいうと、カプセル。解熱剤として飲む医薬品。小学校の時、冬になると「かんゆ」と呼ばれるお菓子(?)の封筒が配られた。缶に入った甘くてカリッとしたものは、当時大好きだった。親にねだっても買ってくれなかったので、購入したクラスメイトにもらって食べていた。今でも「かんゆ」の正体を知らないが、学校で買えるものだからお菓子ではないと思う。漢字変換すると、「肝油」と出てこれだとすると健康食品なのだろう。自分には、グミは「かんゆ」と同じ健康食品。食品とつくが、寿司やカレーなどのような食品とは違う。バクバクと食べるようなものではなく、近くで食べる人がいたらもらうレベルのモノ。

昨日、『伊集院 深夜の馬鹿力』を聞いていて2022年のベストバイを紹介していた。その中で、こちらのグミを紹介していた。

初めて食べたディレクターは「まるでフルーツ」と称していた。ジューシーでグミじゃない食べ応えらしく、それを聞いた時ゴクッと唾をのんだ。今日コンビニに入った時、無意識に上の商品を探す自分がいた。「男らしくない」「食べた気がしない」「食べ物じゃない」とまで言ったが、いつまで反グミ勢力の一員でいられるか自信がない。ちょうど小腹が空いた。赤いフルーツを求めて、コンビニを覗いてみようと思う。