Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

「彼」との9年間を振り返る

9年愛用した自転車を手放すことにした。理由は、パンク。車道に落ちていたクギを踏み「パーっン」という破裂音とともに、チャリの機能を失った。パンク程度であれば、本来修理して使い続ける。しかし、愛車は長年の使用により様々な欠陥を抱えていた。握ってもほとんど減速しない左ブレーキや当の昔になくした反射灯、ギアチェンジするとうねりを上げる車体など、ここ最近の自分は手放す決定的なアクシデントを待っていた感がある。偶然踏みつけたクギは、神が示した引退宣言だと受け取り、すぐさま廃棄手続きを行った。自分が住む大阪市では、400円シールを貼ることで粗大ごみとして回収してくれる。当初10万円の価値のあったクロスバイクは、9年の歳月ととも最終的に400円の価値になった。シール価格は、そのことを物語っているようで妙に納得してしまった。

彼とは、おしゃれな雰囲気のこじんまりとしたチェーン店で出会った。その店には、クロスバイクロードバイクなど、京都の大学生がよく乗るタイプの自転車ばかりが並んでいた。当時入っていた学生寮では、大多数がクロスバイク系のスタイリッシュなものい乗っていたから、何となくその辺を買おうと思っていた。親から渡されていた新生活用の軍資金を考えると、5万前後の予算を立てていた。並んでいるのは予算通りの3~5万のものが多く、高校まで乗っていた1万前後のママチャリとは世界が違うなという感想を抱いた。予算に収まるものから順に見たが、どれも寮の誰かが乗っているものだった。人と被ることを最もダサいと考える田舎から出てきたばかりの自分は、直感的にピンとくるものにしようと値段を見ないようにした。その店で唯一本能に訴えかけてきたのが、愛車だ。正確には、元愛車だ。

帰省した時には、親に叱られた。「どうして、一発目からそんな高いモノを買ったの!?」や「あんたの金遣いが心配」など、ネチネチしたお説教を受けた。その場では反省した(と思う)が、京都に戻ってからは「買ってしまったらこっちが勝ち」と言わんばかりに愛車を乗り回した。これまでママチャリぐらいしか乗ったことがなかった自分には、平坦でも40キロ出るマシンに驚愕した。ボディに覆われている車で感じる40キロとは、全くの別物。常にアトラクションを乗っているかのようなスリルを感じた。

スピード以外にも、クロスバイクの脅威は他にもある。ママチャリの半分程度の太さしかないタイヤは、ちょっとした段差でも転倒の原因になる。ボディの軽い自転車の多くが、歩道ではなく車道を走るのは、歩行者の邪魔にならないようする理由よりも、車道の方が転倒リスクが低いからにある。また、濡れたマンホールや舗装されたての道ではよく滑る。ハイドロプレーニング現象も相まって、雨の日のサイクリングは命懸けだ。

時に死にかける経験もありながら、9年間での走行距離はざっと20,000キロぐらい。これは地球半周に相当する。東京~石垣島が約2,000キロだから、チャリで日本一周は結構簡単に思えなくもない。実際は過酷であろうことは想像できるし、やろうとは思わないけど。

この9年、どこへ行くにも大体愛車が一緒だった。学校を通うのもお買い物もたまにパートナーとするサイクリングデートも。今感じている感動みたいな感情を「エモい」と表現するのだろうか。単なる移動手段に過ぎないのに、泣きそうになる。

「ゲキザカ」と呼ばれる急こう配の坂も、持ち前の軽量ボディと18段階ギアのおかげで、足をつかずに登ることができた。「坂道で足をつくのはサイクリストの恥」と考えている、ロードバイククロスバイク乗りは多いと思う。京都にある将軍塚までの坂道は、一度も足をつかずにギリギリ登りきれた道として鮮明に覚えている。標高490Mのところにある将軍塚古墳までは、距離2.1キロ。徒歩とほぼ変わらないスピードで30分近くペダルをこぎ続ける。グネグネとカーブを描くので、ペダルと同じくらいハンドルが重い。歩いておした方が断然効率が良いことは分かっているが、サイクリストのちっぽけなプライドを賭けてこぎ続けた。残暑残る9月で汗だくになりながらたどり着いた頂上では、見晴らしの良い展望が待っていた。決して認知度は高くないが、数ある京都の名所の中でも屈指の難易度を誇る(自転車で行く場合に限る)。

彼と最長で走ったのは、吹田~神戸間。直線距離で約30キロ。道中尼崎や甲子園、芦屋の高級住宅街に寄ったので、往復7時間をかけたプチ旅行だった。本気ではなかったが、出発する前は淡路島までいけたらいいなと考えていた。詳細を知ると距離やルートに絶望することを知っていたので、ざっくりと東に進むという方針のみで走りだした。それは、月に1度のペースで衝動的にやりたくなる、自分が「放浪」と呼ぶ外出でも同じスタンスを取っている。兵庫に入るまではすぐなのだが、とにかく神戸が長い。芦屋を過ぎた灘から西は明石まで続く横長都市。しかし、地図を見れば分かるが、神戸は氷山の一角に過ぎない。その先に待つ明石も加古川も姫路も、とにかく横に長い。「淡路島はすぐ行ける四国」と誰かが言っていたのを思い出し、「車ではな!」と帰って地図を眺めながら独り言でツッコんだ。

9年を共にした相棒との思い出を振り返りながらも、既に次の「脚」について考えを巡らせている。人間とは身勝手な生き物だ。5日後に回収される「彼」が、その先でどのような道をたどるのか分からない。貧困映画でよく見るスクラップが積まれた山でゆっくりと朽ち果てていくのかもしれない。せめて、部品の一部でもまたどこかで再会できたらいいなと思う。9年間、本当にありがとう。