Unlimitedに上機嫌

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「マッチングアプリは、現代版の文通」だと気づいてから、”彼ら”が身近に感じられた

年末年始は、幼馴染や義兄など、普段会わない人と話す機会があった。去年は人付き合いをほとんどしなかった1年だったので、結構よい刺激をもらった。小学校からの幼馴染は最近彼氏ができたらしい。アプリで出会ったらしく、相手も同じ仕事をしていて意気投合したと言う。アプリで出会ったと答える時、明らかに後ろめたさを見て取れたが、すかさず「いまは普通やもんね」とフォローを入れた。この言葉に嘘はない。半年ぶりに会った前職の上司も、アプリで彼氏ができたと話していた。それに、今は夫婦の半分はアプリ経由だという話も聞く。「アプリで出会うのが当たり前」と謳う、web広告はあながちホラを吹いているわけでもないだろう。

数や比率が増えても、まだ本心ではアプリで出会うことに納得できないでいる。5年前ぐらいに友人に話した本音は、「アプリで出会う根性が許せない」的な内容だったと思う。今はそこまで考えていないが、リアルで出会った意中の人にアプローチするのが全うだという考えは変わっていない。目に見えないものに不信感を抱く考えは、頭の固いアナログじじいのようだと自覚していながらも、精神論的なところで折り合いがつかないでいる。しかし、これからもアプリで出会った人たちと話す機会は増えていく。そのたびに、「こいつらはひ弱なやり方で幸せを手に入れた」と考えたくない。

アニメ『銀魂』で好きな回がある。第127話「会わないとわからないこともある」だ。新八が海に漂っていた手紙を拾い、相手の女の子と文通することなり、どんな手紙を書こうかアレコレ悩んだ末に、銀時の助言で結局は沖田の写真を同封して返事を出す回だ。銀さんや近藤が乱入し、いつもの無茶苦茶な展開になるのだが、会ったことのない相手を想像しながら筆をとるシーンはキュンキュンする。先日この回を見て、マッチングアプリと文通は同じであることに気づいた。プロフィール写真があるとは言え、お互いに盛りまくっているので顔を知らないも同然。イケメンの沖田の顔写真を送った銀さんの判断は、加工アプリで別人同然の写真を載せるユーザーと同じ。実際に会うまでメッセージを送り合う行為は、時間差のない文通。「アプリで出会う=現代の文通」と考えると、かなりロマンチックに思えなくもない。

文通でも、マッチングアプリでも、求められるのはライティングスキル。相手に寄り添い自分の魅力をアピールし、お互いの距離を縮める。ブログという場で書いている自分も、異性に送るアプリユーザーも、同じ書く者。これまで遠ざけていた彼らが同志のように思えてきたではないか。

ただ、アプリではライティングスキルの他に、必要なものがもう1つある。カネだ。これは聞いた話だが、誰にでも無制限にメッセージを送れるわけではないらしい。イイネと言ってくれた相手にしかメッセージは送れないようになっていて、デフォルトでは3通までという制限があると聞く。それ以上送るためには追加料金が課せられ、それを負担するのは常に男性。つまり、いくらライティングスキルがあっても、それを発揮するには先立つものがなければいけないということ。文通の世界でも、レターセットや切手代がかかるので一緒といえば一緒かもしれないが。

アプリで出会うことは、現代版の文通だという刷り込みは完了した。今後、アプリで出会った人たちと話しても、「最近普通だよね」と他意なくリアクションできる気がする。最後に、アプリで出会う人に必要な「三種の神器」を思いついたので書こうと思う。盛る技術、ライティングスキル、金。「身長、学歴、収入」だった前時代よりも、努力でどうにかなる要素が増えたので、ほんの少し男性に優しい時代になったのかなと思う。