Unlimitedに上機嫌

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大掃除って、普段掃除できない人の自己満イベントだと思うのだが

 年末でしか耳にしない言葉が、いくつかある。紅白、除夜の鐘、おせち、年賀状など。その中でも、どうしても理解できないものが一つある。

 大掃除だ。

 「年末は忙しい」という理由には、おそらく大掃除がかなりのウェイトを占めているのではないか。不思議と、大掃除は否定的な言葉とセットで使われる。「大変」「嫌い」「やりたくない」など、楽しいイベントが目白押しの年末の中で唯一嫌われるイベント。大掃除について、常々このように考えてきた。「普段掃除する習慣のない人がやらざるを得ないイベント」。片付けられない人が一念発起するチャンス。普段から気づいた時に気づいた場所をキレイにしていれば、大がかりに掃除する必要がないと思う。ゆえに、大掃除なんて聞いただけでどっと疲れるイベントなんて無くなってしまえばいい。ただでさえ、普段床の掃除もしたくないめんどくさがり屋さんに、「大変で」「大掛かりな」掃除を強要することは間違っている。実家にいる時は、言われるまで掃除ができない人間だったので、ある日朝からたたき起こされ掃除させられる日が嫌で仕方なかった。できない人をやる気にさせる言葉は、「やれ」ではなく「やらないと損するよ」だと思う。学生時代を振り返っても、掃除嫌いな自分をその気にさせたのは「掃除しなさい」ではなく、「掃除しないと部屋没収するよ」だった。あまり頻繁に言っても効果が薄れることを理解していた親は、2カ月に1回のペースで脅しをかけてきた。おかげで、何とか部屋は清潔さを保てたし、わずかな掃除習慣もついたと思っている。

 子供のいる家庭では、大掃除は一家を団結させるという目的があるのかもしれない。思春期ともなると、子供は部活や遊びに行ってほとんど家にいない。家事のできない父親は、居心地の悪さを感じ外に出る。そうすれば、妻が平日溜まった家事を消化できる。決して理想的ではないが、こういう家庭が数多く残っていると推察する。こんな暮らしを送っている家族が唯一団結するのが、大掃除ぐらいしかない。家をキレイにするという大義名分のおかげで、普段発言力のないに等しい父親の言うことが受け入れられる。「普段から掃除しろよ」と言いたいお母様がたには、グッとこらえていただく必要があるが。とは言え、大掃除は家族間のコミュニケーションを数多く生み出すわけではない。それぞれの部屋を担当するのが通例だし、ホコリが舞う中ではお喋りも進まない。一緒に共通の目的を果たしたという、精神的な結びつきが大掃除の目的と言えるだろうか。

 先日、一緒に住む彼女に「大掃除しないとね」と言われた。上記の通り、大掃除には否定的な意見を持っているため、真っ先に「やる意味ある?」が出てきてしまった。「しまった」と思うのとほぼ同時に、「たとえば、どこをキレイにしたらいいんだろう」と続けた。「そうだね...」と返答に困る彼女に向けて、「食器棚とかやろうか」とフォローを入れた。食器棚。たまにキレイにする場所。2週間後もそれなりにキレイだと思う食器棚。だが、自分が思いつかないだけで掃除するべき場所があるのかもしれない。ネットで調べてみた。

出典:おそうじ本舗

 窓や網戸、サッシがトップ。次いで、キッチンやバス周りが並ぶ。確かに、窓や網戸は普段掃除しない。サッシは、たまーに気が向いた時に掃除するが、今年やったかどうか覚えていない。よし、窓や網戸はやるか。だが、それ以降は特段やる必要がないと判断。思いがけず、キレイにすべきものを思いつく。靴だ。普段履くスニーカーや革靴。夏場は月1で磨いていたが、水が狂気と化す秋終わり以降、キレイにした記憶がない。

 思い込みは、人を頑固にし不幸にする。大掃除について、多少思い込んでいる面はあった。だがやはり、大掃除は「一念発起のチャンス」と「家族を表面的に団結させるイベント」に過ぎないという考えは変わらない。