Unlimitedに上機嫌

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「棺に何を入れてほしいか?」を考え始めたら、結構楽しくなってきた

最近ポッドキャストにハマっている。名前は知っていたが、有料コンテンツであるという思い込みをしていたせいでずっと触ることがなかった。ざっくり言えば、音声版YouTube。芸能人から一般人まで、音で何かを届けたい人が様々なコンテンツを提供するメディア。先日書いた「脱YouTube計画」の記事でいろいろと考える中で、ポッドキャストにたどり着いた。

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基本的に、これまで毎週聞いていた芸人ラジオを聴く目的で使っているが、初めましてのコンテンツにもいろいろ出会った。中でも、これから聞き続けようと思ったのが、「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」。人気コンテンツでも一番上に出てきたので、ポッドキャストユーザーなら誰もが知るコンテンツなんだと思う。何名かの男性が、歴史のあれこれを語る2、30分。まだ1回分しか聞いていないが、分かりやすい説明と知的な人たちのトークは、まるで良質な講義を受けているような感じ。

聞いたのが、「『わからない』をどう生きるか?」(12月22日配信)回。内容は、死について。前半は世界や歴史の埋葬法や死生観について紹介し、後半はメンバーたちによる深堀トーク。科学やITなどの領域にも発展していって、身近なテーマを広く深く学べたような気がした。

前半部に埋葬法が紹介される中で、「自分が死んだら、どんな埋葬をしてもらおうか」「棺の中には、何を入れてほしいか」などを考え始めた。取り上げられた事例は、どれも理に適っていていいなと感じるものばかりだ。

  • 防寒具と食料を持たせる(イヌイット)死者の世界は現世の近くにある
  • スイッチを入れたラジオを持たせる(マダガスカル)死者の世界でも楽しめるように
  • 軍隊と一緒に埋葬する(秦の始皇帝)死者の世界でも軍隊を持てるように
  • ミイラを作る(エジプト)復活した時の肉体を持てるように
  • 肉体をズタズタにする(ペルシア)自然界の血肉にする

埋葬の基本型としては、「生きてる時と同じ状態を保つ」という考えがあると言えそう。衣服を着せて上げるのも、食料や楽しめるコンテンツを棺に入れてあげるのも、死者の世界が現世と似ていて、生きていた時と同じように過ごせるようにという死生観がある。

反対に、肉体を残さずに自然界に戻すという考えもあって、ペルシア人が市民の埋葬にやっていた方法は、現在の樹木葬や散骨などとも共通している。

今日の晩御飯でも「何でもいいよ」が一番厄介なように、自分が死んだ時の処理についても漠然としたイメージを伝えておくことは大切なのではないかと思う。ラジオでも繰り返し言っていたが、葬式は死んだ本人のためよりも、残された人たちのためにやるという意味合いが強い。大好きなアニメ映画『サマーウォーズ』でも、栄おばあちゃんは「いざという時」という手紙で、自分が亡くなった時の処置について家族にメッセージを残していた。性別は違うが、あのおばあちゃんのような人間になりたいと常々思っているので、自分も現段階での意思表示をしておきたいと思う。

死んだ後の流れとしては、「葬式→埋葬→墓入り」の3ステップに分けられると思う。まずは、葬式について。こちらについては、大好きなラジオ番組で言っていたものを参考にしたい。その人は20代の女性で、葬式を呼ぶ人リストを作っているそうだ。参列者には元彼や女友達などがいて、自分のお別れ会を出会いの場にされたくないという意向から、会場は男女が一緒にならない設計にしてほしいと言っていた。大変興味深い遺言だ。これとは全く正反対の考えが、小説『生命式』(著:村田沙耶香)に書いてあった。少子化が深刻になった社会を舞台にしていることもあって、葬式は男女が交じり合う機会だという描写があった。死んだ人の血肉を食べることで、発情作用を呼び起こし、新たな命に繋げるという世界。こちらも、同様に興味深い。

誰を呼べばよいかは、一覧化しておくべきだろう。また、喪主が彼らに連絡を取りやすいように、連絡先と紐づけておくとよいと思う。電話アプリにはほとんど連絡先が入っていないので、LINEになるだろう。LINEで繋がっている人の中から葬式に来てほしい人をリスト化する。喪主がその人たちを集める時に贈る文面も考えておいた方が良いだろう。できれば、1人1人に自分の死とお別れをしたい旨を考えるべきだが、まずはテンプレートを用意して、関係性の近い人たちから順に個別メッセージを用意する。

続いて、埋葬だ。肉体を留めておきたいという考えはないので、火葬してもらうことにしよう。「棺の中に何を入れてもらうか」問題だが、やはり死後はぐっすり眠りたいと考える。自分は、タオルと半袖のシャツを着ないと寝られない。冬場は、履き倒した長ズボンジャージと靴下も。死体に靴下を履かせる側の気持ちを考えると気が引けるので、半袖シャツは着させてもらおう。そして、体勢の指示もしておきたい。死体は仰向けと相場が決まっているが、仰向けでは眠れる気がしない。左肩を下にしてやや膝を曲げた、胎児スタイルで是非お願いしたい。これを可能にするために、どれくらいの幅が必要なのか今のうちに測っておく必要がある。死後ではずっと寝ていたいが、死者の世界は喧騒に満ちていることも考えられる。そんな時のために、自分を保つために本を数冊入れておいてほしい。今ぱっと思いつくのは、『菜根譚』『獣の奏者』『アルケミスト』の3冊。年齢によってラインナップは変わるだろうから、遺書はアップデートしていかなければいけない。

最後は、埋葬だ。正直、自分は墓を設けてほしいとは思わない。何となく狭苦しい感じがするし、代わり映えしない景色を見続けることは退屈だ。かと言って、散骨や宇宙空間に舞い散るのは残された人たちが困ると思う。死んだ自分に会いに来てくれた人が迷わない且つ閉塞感のない埋葬法。それは、生きている人に身につけてもらうことだと思う。頼まれる人には気味悪がるだろうが、死んだ後もこの世界を見て回りたい。形見は死んだ人が遺したものを言うが、自分の身体の一部を形見にしたいというのが現在の意志。婚約予定のパートナーが最有力候補なのだが、この気持ち悪さ満点の死生観を伝えて生前に分かれやしないか、と不安で言えそうにない。直接口にできないことも伝えられるのが遺言の役目だと思うが、それでも遺言を受け取ってもらえるか自信はない。「小説でこんなやり方する人物がいたんだけど」という体を装って探るのが賢明かもしれない。

久しぶりに死について考えた。「どうすればYouTubeに支配されないのか」や「何か書くネタはないか」などばかり考える今は、なんと幸せなのかと思った。死を意識することで生に感謝する。終活は、生を豊かにするために大切な機会なのかもしれないと、ふと考えた。