Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

僕の「忘れ得ぬ人々」

暇なときは、ブログ記事を漁るかラジオを聴く。特に、音だけでラジオは最も効率の良いインプット方であり暇つぶし法だ。毎週聞く10番組の中で、特に気にいっているのが「東京ポッド許可局」。文系出身の芸人3人が好き勝手話すラジオ番組。くだらなさの中に知的な雰囲気があるのが魅力。

3人の芸人がパーソナリティを務める番組には、「忘れ得ぬ人々」というコーナーがある。

ふとしたとき、どうしてるかな?と気になっている人。でも、連絡をとったり会おうとは思わない。そんな、忘れ得ぬ人を送ってもらうコーナー。

出典:東京ポッド許可局: 忘れ得ぬ人々 on Apple Podcasts

番組にメールを送る度胸はないが、自分にも「忘れ得ぬ人々」が何人かいる。電波ではなくネットに乗せて彼らの話をしたいと思う。

木村先生

高校2,3年の担任の先生。1年の頃から国語を教えてもらっていた、クールで美しい先生。美魔女的な若さがあり、最後まで年齢不詳感が漂っていた。小学生と保育園に通う子どもがいると言っていたから、当時で40歳、いまは50歳前後だと思う。教科担任の頃から苦手な印象を持っていた。冷たくて決して距離を縮められない感じの先生。その予想はだいたい当たって、クラス担任をしてもらった2年間でもそれほど距離が縮まったとは思っていない。1年の頃から担任をしている、下の名前で呼ばれるやつらを見て羨ましいと思ったりした。

そんな木村先生から言われた、忘れらない言葉がある。「頑張った後こそ、当たり前のできるようになりなさい」という言葉。自分はよく学校をサボる生徒だった。不良では決してなかったが、週に1,2回どうしても起きられないことがあり、成績に響かない程度に学校を休んだ。一年生時の担任からは「よく休むけど大丈夫か?」的なことを何度か言われた気がするが、木村先生からは言われた記憶はない。だが、生徒会長で獅子奮迅の活躍で文化祭を終えた時、例の言葉を言われた。「あんたがよく頑張ったのをみんな知っている。だから、週明け学校に来なさい。せっかく得た評価を自分で台無しにしないように」と言われた。自分のサボるタイミングを把握していたうえでの言葉。好かれていないと思っていた相手がちゃんと自分を見てくれていた嬉しさで涙が出そうになった。愛のある担任に必ず報おうと、週末を過ごした。

月曜日、自分は学校をサボった。あれほど行こう決めていたのに、起きた時には眠気とダルさが勝っていた。一度「休もうかな」という考えがよぎると、どんな人との約束も平気で破ってしまう。昼頃に起き出して以降、月曜日は自分は自分を責めた。木村先生に合わす顔がないと、結局翌日も休んだ。休めば休むほど行きづらくなることは分かっているのだが、引っ込みがつかない。あの時ほど、自分を嫌いになった瞬間はないと思う。結局、水曜日の朝木村先生のところに謝りに行った。謝罪なんて求めてなかったと思うが、そうしないと自分を保てなかった。その時、先生がどんなことを言っていたのか覚えていない。だが、悲しそうな表情を浮かべていたのは今も鮮明に覚えている。

高校卒業後も、たまに「特に頑張った!」と思う日がある。その時には、あの時の木村先生がくれた言葉を自分にかける。いつもではないが、翌日当たり前のことができるようになった。まだ自信をもって顔を合わせるだけの人間になれたとは思えない。しかし、あの時木村先生がくれた言葉のおかげで、少しずつ弱い自分を克服できていると思う。ありがとう、木村先生。

岩本さん

大学4年の時、和歌山の一人旅で出会った方。新宮駅近くの銭湯の更衣室で話しかけてくれた岩本さんは、初対面の大学生を食事に連れて行ってくれた。知らない場所で知らない人の車に乗るなんて、心配性の親が聞けば発狂ものだろうが、失うものもない青年は迷わずダンディーな大人についていった。連れて行ってくれたのは、お寿司屋さん。「自分は隣のスナックにいるから、食べ終わったら声をかけて」と言い残し、カラオケが流れる大人のお店に入っていった。言葉の意味がよく分からなかったが、贅沢に寿司でも食べるかと目の前の寿司屋に入った。くじらやタチウオ、ハモなど普段食べないようなネタをおまかせで握ってくれた。夫婦が営むこじんまりとしたお店は、とても居心地の良い空間だった。一人旅にやって来た大学生の話も楽しそうに聞いてくれた。

ずっとここに居たいと思ったが、そろそろ店じまいもしたいだろうからお会計をすることにした。カバンから財布を取り出そうとしたとき、おじさんの言葉を思い出した。「食べ終わったら声をかけて」。もしかしたらご馳走しようとしてくれているのかと思い、会計は一旦待ってもらってスナックに向かった。ウーロン茶を飲むおじさんは、自分に気づくと「いっぱい食ったか」と聞き店を出た。そこからはあまりにスマートすぎて、一瞬のことに感じられた。店主に「あの子の会計を」と言い、支払いを済ませまたスナックに戻った。後ろからただ見るしかなかった自分は、スナックの席に座ってようやく「ほんとに良いんですか?」と尋ねた。「そのつもりやったから」と言うおじさんは、何度も感謝を伝える自分を優しく見守ってくれた。その後、お酒を酌み交わしながら岩本さんと話した。車で来た岩本さんは、ウーロン茶を飲んでいたが。

岩本さんは、隣町で建設会社を経営する人だった。かれこれ20年くらい、車で銭湯に入ってくるらしい。社長になるまでは、東京でデパートの店員をしていたらしい。婦人服を長く担当していたらしく、どの話もポジティブで面白かった。途中店のママからカラオケの無茶ぶりがあったりして、1時間ほど過ごした。お暇しようとしたとき、「今日はどこに泊まるのか」と聞かれた。夏でケチりたかったのもあり、「海辺で野宿します」と答えると「それはアカン」と言われた。夢の話だが、その店にはホテルを経営する人が来ていた。常連同士、お互いの仕事は知っていたらしく、岩本さんはホテルを経営する方に「これでこの子を泊めてくれないでしょうか」と話しかけた。「それは流石に」と言う自分を制止し、おじさんは自分のホテルに連絡をした。1室キャンセルが出て空いているそうで、すぐに取ってくれた。2人の大人たちによって、あっという間に寝床が確保された。

翌朝目覚めると、そこはホテルの一室だった。ベッドわきには岩本さんからもらった名刺があり、前日の出来事は夢ではなかったのだと思った。あれから5年が経つ。毎年送っている年賀状に返事は来ない。それで良い。その方が、岩本さんはいつまでも憧れの存在でい続ける気がす。そして、いつの日か岩本さんにあの時のお礼を伝えにいきたい。あの人のようなカッコイイ大人になって。