今村夏子著『星の子』巻末インタビューに見る小川洋子の質問力
本編ももちろん面白かったが、特に印象に残ったのが巻末インタビュー。
インタビュアーである小川洋子さんの質問力に感銘を受けた。
そこで今回は、斎藤学さんが書いた『質問力』を参考に、小川洋子さんの質問力を解剖するしようと思う。
沿う技術
言い換え
主人公の中にいるわけですね。語りと目玉を共有できる人なんですね。
みどりがかったような瞳の中に作家が入れるのは、それは稀有な才能ですよ。
(直前の内容「子どものころの目に映ったままを書こうとすること」を言い換え)
長いから別の技術がいるわけでもないですしね。
引っ張ってくる
暴力と切り離せないものをいつも感じます。それも自分では分析していないですか?
(その前の、語りの視点について意識していないという相手の言葉を受けて)
私はとにかく書きすぎるんです。子供の目に映ったことしか書かないという今村さん的な才能を私が持っていたら、また全然違う話になったと思います。
(その前の視点の話の相手の言葉を引っ張ってくる)
相手との共通点を伝える
私も初めて三百枚を書いたときにそう思いました。(中略)ただ三百枚書いたというだけのことでした。
(「書いてる途中で、もうこれはだめだって思ったことはありませんか?」という質問を相手から引き出す)
具体と抽象を繋ぐ
抽象→具体
会話で印象的だったのが、誕生日にプレゼントされた使い捨てカメラで、あみ子が家族の写真をとろうとする場面。
(会話を書いているうちに、「この人はこういうことを考え、こういうことを言う人なんだな」と、段々その人のことがわかってくるような感じです。」という言葉を受けて)
それをあまり意識しないでできるのは、書いているときに今村さん自身も「わたし」の語りを聞いてるっていう感じなんでしょうか?
(直前の抽象的な内容を、再度具体的な言葉で言い換えている)
しかも無言の面積のほうが圧倒的に広いんです。それも子供が語り手だからでしょうか?
(「無言の面積が広い」という抽象的な言い換え→「子供が語り手」という具体的な言葉に)
具体→抽象
そこを微調整しない頑固さがあると思うんですが。それは意識はしていたんですか?
(その前に、「「星の子』の最初のところ。「わたし」が思い出せない遠い記憶のことは全部「何々したそうだ」というふうに、全部伝聞の文体になっているんですよね。しつこいぐらいに。」という具体的な自分の考察を語る)
小説を書いてるときに、今村さんはどこにいるんですか?
(直前の3回ほどのやり取りを、本質的な質問に変えて投げている)
大抵、救いになるのは少年ですね。
(直前に「わたしはあの子が大好きなんです」「私も好きです」という二人の間に共通点を作って)
言葉にしていない世界をちゃんと書けるというのは理想ですね。羨ましい。
(直前に「あったことをそのまま書くしかない感じでしょうか?」という具体的な質問をしている)
相手の専門性を尊重
自分が楽しんで書けばいいじゃないか」というのはすごく単純な境地なんですけど、一方で、その境地に行くのは難しいという気はします。
(次に、「小川さんは、書けなかった時期はありますか?」を引き出す)
でも、ラストを直すのはけっこう勇気がいりますよね。
選択肢を用意
サラサラ書いていると言っても驚かないけど、ものすごく遅筆かもしれないな、という予測もあります。
編集者が指摘した「悪意」は誰の悪意なんでしょう?社会の悪意ですか?
相手の話のキーワードを見つける
今村さんの小説のキーワードは、さっきの「暴力」と「報われなさ」、それともう一つ「きょうだい」だと思うんです
ずらす技術
自分の経験に引き付けてずらす
その報われないときに醸し出される空気は、わかりやすく言うと「チャララー」って聞こえてくるような感じ。あの空気の感触は、やっぱり書きながら生まれてくるんですか?
(自分なりの言葉(オノマトペ)で表現してから、本質的な質問をする)