Unlimitedに上機嫌

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暗いニュースを見た彼女に「死なんといて」と言われたら、どう返せばいいか?

「今日30代の息子さんを亡くした女性からの電話を受けた。お願いだから若くして死なないで」PCに向かう自分に向かって、隣に座るパートナーはこんなことを言い出した。「え、なに突然?」と思いながらも、「大丈夫、死なないよ」と言葉をかける。こういうやり取りが月に1,2回起こる。新幹線で刃物を持った男や元首相が射殺された事件が流れる唐突に。もはや定期イベントとなっている、パートナーからの「死なないで」コール。何度かこなしてきたが、毎回満足のいくレスポンスをできないでいる。

「大丈夫だよ、死なないから」という言葉は一見良さそうに見えるが、発した自分も受け取った彼女も心から納得していない。言い終わった後にはいつも無責任で上滑りしている感じが残るし、彼女の表情からも不安や焦りは消えない。両者が前向きになれる言葉はないものか、と常に頭の片隅で考えている。

そもそも、有名人や顔も知らない誰かの死を自分事として受け止められる彼女に驚かされる。普段政治なんて見ていないのに、元首相が暗殺されたニュースを受けて「よくわからんけど、安倍さんは一生懸命頑張ってきてくれたやろ」と涙を浮かべていた。対する自分は、「一国の首相が暗殺されるぐらい日本ってヤバいの?」などと一人の死よりも暗殺という事象に興奮気味になっていた。作り物の場合もそうだ。ジブリや新海作品を一緒に見ると、途中で彼女が泣き出すことがある。細部の描写に注視している自分とは、本当に同じ作品を見ているのか不思議に感じることがある。

人の気持ちが分かる彼女と非情な自分。自分たちの中にこのような対立構造を見出し、たびたび自分を卑下してきた。どうして自分は彼女みたいに思いやれないのか、と。しかし、これまでのやり取りを振り返るうちに、違いは「感受性」ではなく「視点」にあるのではないかと考え始めた。30代で息子を亡くした女性の件も、新幹線の殺傷事件も、元首相暗殺の件も、彼女は常に自身を「遺された」立場に身を置いている。一方、非情だと卑下する自分は「遺した」立場を想像しようとしていた。つまり、自分は「自分が同じ目に遭ったら」、彼女は「あなたが同じ目に遭ったら」と考えているのだ。それまで感受性や人間性に原因があると考えてきたが、二人は違う視点で考えていたことに気づいた。

これは、結婚について話すときにも度々感じる。結婚式について、自分はやる必要がないと考えてきた。しかし、女性の憧れであることも知っているし、彼女が望むならやりたいぐらいに考えていた。ただ、やるのはあくまで自分たちのためで、家族や友人に見せるためにはやりたくないと考えを持っている。対して、彼女は大切な人たちに喜んでもらうためにやりたいと考えている。ベールダウンのシーンをテレビで見ているときの「こんなんやったらママ泣いちゃう」という母親の発言が、ずっと頭に残っていることを教えてくれた。まだ計画段階だが、式は二人で挙げ、親族のみを招いた披露宴でベールダウンを取り入れようということになっている。

さて、定期的に発生する「死なんといて」イベントに話を戻そう。これまで自分は「死ぬのは自分」という視点で、「大丈夫、死なないから」と言葉をかけてきた。そこには、人間いつ死ぬか分からないという真理に反した点の他に、「相手にも起こるかもしれない」という視点が抜け落ちていた。彼女にも全く同じことが言える。彼女は「自分にも起こるかもしれない」という視点で、日々流れてくる暗いニュースを話してきたことはない。常に「大切なあなたが同じ目に遭ったら」と考えてくれる。だから、もし彼女が「死なんといて」という状態になった時は、自分が伝えるべきは「いつも僕を想ってくれてありがとう。僕も○○ちゃんが同じ目に遭ったら悲しい。だから、こうして一緒に過ごせている時間を大切にしよう」なのではないか。「悲しい」ことと「今を大切に生きる」ことは順接の関係ではない。だが、彼女が抱えている痛みは感情であり、求めているのは論理的な整合性ではない。「人を殺してはいけないんだ。いけないからいけないんだ」という、論理的には成立していないが多くの人が守るルールのように、人を動かすのは常に理屈とは限らない。

豊かな感受性は彼女の愛すべき個性であり、自分を共有せずにはいられない相手だと考えてくれることに感謝したい。だから、唐突に「死なんといて」と言われたときには、相手の持つ視点に立つことと相手にない視点を教えてあげることを両立できるような言葉と態度で向き合いたいなと思う。