Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

27年の写真史を振り返る。

 撮られるのが、嫌いだった。正確には、今も苦手だ。だが、この1、2年の写真を見返すと、満面の笑みを確認することができる。ちなみに、自分はふと写真データを振り返る習慣は全くない。いつだって、一緒に住んでいるパートナーの「見て、この懐かしいの」からスタートする。突然自分が映った写真を見せられるのは、自分の声を録音したものを聞かせられるのと同じ恥ずかしさがある。録音の方はいつ聞いても、「自分ってこんな声だったのか」という変わらぬ衝撃がある。

 人は、いつ照れを覚えるようになるのか。自分の写真に残さない性質は、両親の影響を多分に受けている。小さい頃は、アルバムというものが家にあった。飾り絵ぐらい大きくて分厚い白と赤の冊子をパラパラをめくった記憶がある。父方の祖父の兄、つまり自分にとっての大叔父は、人を撮るのが趣味だった。土地持ちのお金持ちだったから、家にスタジオまで持っていた。墓参りにいくついでに、毎年夏家族でおじさんの家を訪ねて写真を撮ってもらった。母親は、撮られるのが嫌いだったのか、親戚付き合いが嫌いだったのか、毎回嫌そうな顔をしていた。いや、結婚相手の親戚と過ごす時は、大人はみんなあんな感じなのかもしれない。毎回、お小遣いという名のまあまあ大きなお金をくれるから、母親も我慢して行っていたのだと思う。お小遣いは、親に回収されるため、自分たち子どもは、ただ目の前の100%ジュースを飲んで過ごしていた。自分が小学生低学年の間は、好例の撮影会は続いていたと思う。だが、上の兄が中学生に上がると同時にか分からないが、いつの間にかやらなくなった。そして、それ以降家族そろって写真を撮ることはなかった。兄妹の不仲や両親の離婚などが原因で、お小遣い目当てであってもあのイベントは大切だったんだと今になって気づく。

 中学になって恋人ができると、決まってプリクラを撮った。当時はプリクラ全盛期で、何より田舎で遊ぶ場所もなかったから、デートには必ずと言っていいほど「プリを撮る」が組み込まれていた。思春期も重なっていたから、どのカットもカッコつけていたと思う。毎月3,40枚はとっていたはずなのに、今や一枚も残っていない。ちょっと栄えている街の高校に通うになっても、プリクラはしょっちゅう撮りに行った。時代なのか、隣町の連中の先進的なトレンドなのか、男同士でもよく撮った。狭いブースに野郎で入るなんて気持ち悪いなと思いながら、駅前の店舗に通った。人生における居心地の悪い時間ベスト10には、プリクラの落書きタイムを挙げたい。相手が男子であれば、気を遣わず無茶苦茶にできる。だが、女子と撮った時は違う。相手のデザインを邪魔しないように、出来ることは見守る事だけ。「名前書いて」と言われた時は、いつもよりちょっと可愛く書くように務める。だが、決まって気持ち悪いナヨナヨした感じになり、自分の担当部分だけが浮いて見える。あの時の決まりの悪さは、10年経っても鮮明に思い出す。あの瞬間ほど、男が弱い生き物であることを自覚する瞬間はない。

 大学生になると、スマホで写真を撮るのが主流になる。京都に住んでいたから、観光地をバックにその時付き合っていた相手と撮る。もちろん、シャッターを切るのは相手。内カメ機能が搭載され始めて10年近く経つと思うが、未だに満足に使いこなせない。どうしても下向きになってしまって、頭頂部にピンがあったショットを収めてしまう。ケータイショップで開催される「スマホ教室」のように、ファーストフードとかで「自撮り教室」の開催してほしい。世間を見渡しても、どのカップルも女性がシャッターを切るのを見かけるので、それなりの需要はあると思う。いや、男はこのままでいるべきなのかもしれない。あの瞬間は、まさに国が推し進めようとしている「女性活躍」に他ならないし、「男が弱い方が家庭はうまく回る」を体現しているではないか。