Unlimitedに上機嫌

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人付き合いを頑張らない

会社員を辞めて9カ月が経った。この9カ月、まともな人付き合いをしていない。とは言え、同棲しているので、毎日何かしらコミュニケーションを取っている。しなくても良いからだろうが、現在は人付き合いを頑張らないようにしている。

学生時代や社会人になって営業をしていたころを思い返すと、誰からも好かれようとしていた。ルックスもユーモアも人並み以上だと自負していたから、自分は常に輪の中心にいるべき人間だと考えていた。実際、休んでいる間に合唱コンクールの指揮者になったり、推されて生徒会長になったりした。

だが、大学生活を始めて割と1人でいることが多いことに気づいた。私服のセンスは高校生で止まっていたから、周りからはトレンドに鈍感な田舎出身者だと映ったのかもしれない。最初は耐えがたいことだったが、1人でいることの充実感も知るようになった。金も時間も自由で良いことづくし。果ては、自分はコミュ障なのかもしれないなどと考えるようになった。

だが、社会人になってからは再びコミュニケーション頑張るキャラになった。入社式では、大勢の先輩に向かって「●●と呼んでください」と茶けてみたり、誰相手にも積極的に話しかけるようにした。だが、ノルマや数字を前に、化けの皮はすぐに剥がれた。その時も、今も、俳優の松山ケンイチが「しゃべくり007」で話していた言葉が残っている。

「最近は、評判とかどうでもよくなりました。もう奥さんと子どもだけに愛してもらえればそれでいいかな。」みたいなことを話していた。超カッコイイなと思った。だが、これは放っておいても普遍的な人気が約束されたマツケンだからこその言葉。媚びと気遣い、愛嬌を武器にするしかない一般ピーポーには、当てはまらない。そうは分かっていても、この考えがこべりついて離れない。

一年後には、結婚するつもりでいる。2週間後のクリスマスか、2カ月後の彼女の誕生日か、プロポーズの時期を迷っている27歳無職。マツケンのような「頑張らない人付き合い」が許される要素は、何一つとして持ち合わせていない。近々社会人復帰した時、憧れとは正反対の人付き合いを選択することは目に見えている。なぜなら、自分は嫌われたくない欲が人一倍強いと自覚しているからだ。だが、マツケンの言葉はこれからも憧れとして、心の拠り所として残り続けるだろう。

無性にLと月のテニスシーンが見たくなってきた。