Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

ひとまず「邦画は洋画より下」について考えてみることにした

お互いこれと言った趣味がないカップルの家での過ごし方。映画を見ること。少なくとも、うちはウインドウショッピングやピクニック、キャンプなど、数多くのデートプランがある中で、おうちで映画鑑賞が群を抜いて人気No.1だ。まあ、それ以外に遊び方を知らないだけなのだが、レンタルしても数百円で済むうえに快適な空間でくつろぎながら過ごせる最強のデートだと常々考えている。

お互いまあまあ映画は好きなのだが、好みは異なる。だいたい晩御飯のときに就寝前に映画を見ることが決定する。食後にお茶を飲みながら、PrimeVideoを詮索する。お互いファンタジー作品が好きなので、よく選べれるのが「ハリーポッターシリーズ」と「ナルニア国物語シリーズ」。両シリーズを合わせると、10以上の選択肢ができる。そこに、ティムバートン監督作品を加えると20弱。月に2回の開催であれば、これだけで十分なラインナップ。だが、毎回ファンタジーを見たいという訳にはいかない。

女性であるパートナーは(女性であるからかは分からない)、3回の1度のペースで「恋愛映画を見たい気分」になる。自分はそのような気分になることは滅多になく不思議に思うのだが、デートと銘打っている以上彼女の気持ちを尊重したい。「なるほど、どんな作品がある?」と、考えつく最大限の紳士的なふるまいで彼女を誘導する。恋愛映画と検索すると、多くの邦画がヒットする。告白しよう。自分は、日本の恋愛映画はロクでもないと考えている。学生の頃は、毎年付き合っている相手と新作の恋愛モノを映画館に見に行くのが、クリスマスデートの定番だった。相手は変われど、クリスマスには気づけばスクリーンで売り出し中の若手俳優が繰り広げる恋愛映画を見る。制作側もそうした若者の行動様式を把握しているのか、毎年決まって新作をその時期に用意してくる。これまで約10本近くの邦画恋愛作品を見てきた。約2万円かけて得た知見は、日本の恋愛映画はどれも一緒、だということだ。先日のM-1グランプリに出場したコンビは、「恋愛映画は全部一緒だ」と主張し日本一に輝いていた。

一度もパートナーに、「日本の恋愛映画はだけは嫌だ。なぜなら、全部一緒だから」と伝えたことはない。彼女にはお気に入りの日本恋愛映画が数本あるらしく、それらを否定することは彼女自身を否定することに捉えられかねないので、「これ久しぶりに見たいな」と和製恋愛モノを指さすときは、すかさず他の作品を提示するなどして、毎回やんわりと回避する。

ある日、PrimeVideoでこれまで視聴した映画の一覧を見ていた。その時分かったことがある。ほとんど邦画を見ないということだ。アニメ作品を除くと、この1年間見た邦画は彼女と一緒に見た数本のみ。自分は恋愛映画に限って見ないと思っていたが、どうやら邦画全体を見ないということらしい。その原因について考えみると、シンプルな1つの答えが見つかった。たぶん、自分は邦画を下に見ているのだ。何に比べて「下」かと言うと、もちろん洋画に対して。自分の気持ちを素直に述べると、約2時間の時間をかけるなら地味な邦画よりも派手な洋画を見たいと考えている。この「地味」と表現する辺りに、邦画が洋画よりも劣ったものという価値観が反映されているように思う。

ここで主張したいのは、自分は決して邦画を嫌いではないということ。「好きな映画は?」という質問に対して、『容疑者Xの献身』や『舟を編む』などの邦画を答えることもあるように、中には繰り返し見るお気に入りの邦画もある。ただ、邦画全体に対して、洋画よりも劣っているという考えを持っているだけだ。

なぜ、自分は「邦画は洋画よりも下」であると考るのか。この考えには、以下の3つの理由がある気がする。

  1. 規模の違い
  2. 英語(文化)への憧れ
  3. 日本語はダサい

規模の違い

自分は、映画は「規模」を楽しむものであると考える。ハリウッド映画は、邦画の数十、数百倍の製作費をかけて映画を作る。規模を売りにするバトルやアクション、ファンタジーものは、作品のクオリティはかけた金額に比例する。先日公開された『アバター2』を劇場に見に行ったが、あの映像体験は100億円規模を投じて初めて実現できるものであり、日本アニメの実写化のほとんどがコケるのは、かける金額が小さすぎるから。まあ、ハリウッド版『ドラゴンボール』など、かけた金額に見合わない作品も少なからずあるが。

日本の映画は、実写よりもアニメ作品にお金が集まる傾向にある。人気アニメ映画は、漫画やアニメ放送で作った貯金を2次元の製作費に充てる。ロングセールの人気作については、実写版をリリースする。漫画アニメの実写化は、ダメで元々という免罪符が既にあるため、資金もそこそこの記念品程度のクオリティのものが上がってくる。実写版で成功したと言われることの多い『デスノート』や『カイジ』は、アニメの劇場版は作らずに実写版に集中投下することができたという、お金事情が多いに関係あると考える。

英語(文化)への憧れ

自分を含む、日本人は英語圏に劣等感にも似た、強い憧れを持っている。映画を初めとする、ほとんどの文化はニューヨークやロンドンなどの英語圏を出発点とする。市場規模の小さい日本は、アメリカやヨーロッパなどのマーケットで流行ったものが遅れて届いたものでメインカルチャーが形成される。そして、たいていの作品は「全米No.1」や「世界が驚愕した」などの巨大マーケットでの実績がキャッチコピーとなる。全く知られていないものよりも、他の地域で受け入れられたものにお金を使いたい、行動経済学的な観点からも洋物に人気が集まる構図が見て取れる。

日本語はダサい

これは多少英語ができる人に限った話かもしれないが、たまに海外原作のものを日本版でリメイクする作品がある。映画ではないが、ドラマ『スーツ』。織田裕二主演で、2018年に第1作が放送された、2人の弁護士が活躍する物語。バリバリ問題を解決するカッコイイビジネスマンは日本にもいる。しかし、ハーヴィーやマイク、ジェシカなどを日本人が日本語で演じようとするとどこかチープに映る。織田裕二も中島裕翔もスーツは似合っているが、言葉を主とした表現がどこか違う。海外版を見たから思うことなのかもしれないが、英語だから体現できるジョークやシニカルさは、日本語でやろうとすると無理がある。言語とは、文言を伝えるだけでなく、その文化圏に存在する独特な文化や価値観も含めて伝えるメディア。同じヴィジュアルで、同じ脚本でやろうとしても、アメリカ版『スーツ』がもつクールでスマートな感じは再現できない。

「邦画が下」かどうかは、ジャンルによる

さも、「邦画は全部面白くない」みたいなことを書いた風になっているが、そうではない。邦画には邦画の良さが、洋画には洋画の良さがそれぞれある。だから、「邦画は洋画よりも下」を決めつけることは、自ら楽しみの幅を狭める愚行に他ならない。とは言え、ジャンルによっては邦画が洋画に比べて物足りなさを感じることもある。せっかく楽しい映画を楽しむために、その作品の良さはどんなところにありそうか、とあらかじめ当たりをつけることは大切だったりするのではないかと思う。