Unlimitedに上機嫌

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気づいているけど誰も言わない、日本の敗因

 人間とは身勝手な生き物だと、つねづね思う。

 昨夜も、眠い目をこすってW杯に釘付けになっていた。ブラジル対クロアチア。にわかサッカーファンの戦前予想では、2-1でブラジル。普段、日本人という自覚はあまりないが、日本を破ったクロアチアをブラジルに叩きのめしてほしいという気持ちがちょっぴりあった。ここに、W杯やオリンピックなどの国際イベントの開催目的を見出した。すべては、国民に愛国心を醸成するため。4年に一回、W杯と五輪を合わせると2年に1回、思惑通り出場するすべての国で当然国民の間に愛国心が芽生える。それまで、ボロクソ叩いていた人も手のひらを返し、勝利を信じ声援を送る。彼女は、五輪もW杯もまったく興味のない人だ。自分は彼女を「珍しい」「変わった」人だと思っている。だが、それは彼女も思っている。いや、見ないことで非国民のレッテルを貼ろうとするこっち側の人間こそ「頭のおかしい」「狂った」人に思っているかもしれない。自身の名誉のために断っておくが、W杯にも五輪にも興味を示さない彼女を一度たりとも非難したことはない。

 話が脱線したが、昨夜の試合開始前に考えたことがある。それは、「ブラジルの国歌、カッケエエ」である。メディアと大手オッズサイトの情報のみでパワーバランスを考えている自分からすれば、ブラジルは最強の国だ。たとえ、相手が前回準優勝国であってもブラジルの圧倒的な有利だと思い込んでいる。また、画面の向こうからは、ブラジルサポーターで埋め尽くされているし、歓声も圧倒的だ。そして、それは国歌斉唱に著実に現れる。選手1人1人は、魂を込めて大音量で熱唱する。選手に近いマイクからは、各選手の歌声を拾う。監督やスタッフも、肩を組んで大合唱。ほんの2分ほどのことだが、ここに万年ベスト16止まりである自国を回顧する。W杯だけでなく、全ての国際的なスポーツイベントで痛感する「国歌コンプレックス」。W杯開催中、ネットには日本サッカー関連の記事で溢れるが、誰も追求しない自明の理。敗因のすべてを『君が代』に求めるのは違う。だが、普通の国では起こる、国歌斉唱からの大熱狂が起こらないことは事実。「これから戦うぞ!」という時に、場を冷ます展開にどうしてもなってしまう。「それがクールジャパンなんだ」「それが侍魂なんだ」とか批判する人に尋ねたい。では、ゴールを決めた時、選手や国民は冷静だろうか?、と。いいや、ピッチの内も外も感情を爆発させ叫びまくっている。スポーツとは、感情をむき出しにすることで潜在能力を引き出される面が往々にしてある。バラード調がいけないと言っているわけではない。卒業式や葬式など合うシチュエーションも少なからずある。だが、感情をむき出しにするスポーツの場においては、不釣り合いだ。

 と、ここまで国歌批判をしたわけなのだが、後付けでそれっぽい敗因を探しただけであることは自覚している。これからも日本国歌は『君が代』であるし、天皇さんも存在続けるだろうから、こういう誰も見ていない場でこっそり言うのに限る。