Unlimitedに上機嫌

「お金はかけずに学びたい」をコンセプトに、年間300冊を読む無職がPrimeReading対象本を紹介するブログです。

「ショウミ」を若者言葉だと誤解していた件について

「ショウミ」を日常会話で初めて耳にしたのは、18歳の時。大学入学とともに入った学生寮で、姫路出身のやつから聞いた。冗談でもなんでもなく、最初は「SHOW ME」と言っているのかと思い、彼に何を見せるべきか考えていた。だが、そんな自分を他所に、彼は普通に話を続けていた。その時すぐに「ショウミ」の意味を聞くことが出来なかった。田舎者だと思われたくなかったからだ。その後も、関西出身者を中心に「ショウミ」を日常的に耳にする。そうした中で、「ワンチャン」や「ノリ」のような、若者が好んで使う言葉らしいと推察した。用例としては、「ショウミ無理じゃね?」や「ショウミ行けるくね?」が挙げられる。一年間「ショウミ」が身近な生活を送ったが、一度も使うことはなかった。それは、生来の「長いものに巻かれるな」精神によるものだった。流行に乗っかることは、どうしてもプライドが許せない。歴史的な興行収入を誇る映画も、サブスクに上がるまで見ないなど、10年経ってもその精神は生き続いている。

最近になって、「ショウミ」が「正味」であることを知った。活字で見ることは少ないため、一見すると唐辛子の一種だと思う「ショウミ」。意味としては、「実際」とかだろうか。てっきり若者言葉の一例だと思っていたが、ちゃんとした日本語だったのだ。ただ、なぜ関西出身者ほど使っていたのか。「おおきに」や「やねん」のように、いかにも関西発祥ぽさは全くない。辞書にも載っている中立的な日本語に思える。

「ショウミ」の仲間がいないか。しばらく考えて、「マイド」が見つかった。「マイド」は、大阪の商売人が使う挨拶。東京弁に翻訳すると、「いつもお世話になっています」。発音するといかにも関西弁な「マイド」だが、本来は「毎度」と表記される中立的な日本語。意味は、「いつも」。「ショウミ」は、「マイド」のような中立的な日本語だが、関西圏で特定の意味が独立した言葉の一つであると考えられそうだ。

「ショウミ」が一般語であることが判明からも、依然として積極的に使おうとしない自分がいる。やはり、「ショウミ」は関西弁としての意味合いが強い。ましてや、現在住んでいるのは大阪。相手も当然関西人であることがほとんどだから、関西弁としての「ショウミ」を使っていると思われる。関西に住んで10年近くになるが、やはり自分は関西人ではない。もっと日常的な「やねん」や「しはる」なども、可能な限り使わないようにしている。生粋の関西人には偽物であることが、バレると確信しているから。かと言って、生まれ故郷の方言をバンバン使うわけにもいかない。地方出身者の辛きことよ。