Unlimitedに上機嫌

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「化粧は美の象徴」論があふれているが、それは本当に「すべきもの」なのか。

食後の紅茶を飲んでいる時、突然パートナーが「私ってキレイ?」と聞いてきた。あまりに突然だったため、口に含んだ紅茶を吹きこぼしそうになった。いつも伝えていなかったかな?と思いながら、心を込めてキレイだと伝えた。答えまで間があったのがお気にめさなかったのか、彼女は微妙な表情を浮かべている。このままでは美味しく紅茶を飲み続けられそうもなかったので、「どうしたの?」と聞いた。どうやら、20代後半に差し掛かるにあたり、ファンデーションを使い始めようか考え始めているらしい。ファンデーションの役割や効果をよく知らないので、「そうなんだ」という微妙な反応しかできなかった。すぐさまスマホで「ファンデーション ありなし」と画像検索した。見る限り、しわやシミを目立たなくして艶ぽく見せる効果があるらしい。中には、別人かと思えるビフォーアフター画像もあり「こんなに変わるんだ」と口に出してしまった。

デパートに行くと、必ず女性用の化粧品スペースがお出迎えしてくれる。キラキラとした照明と化粧品の独特な香りをくぐり抜ける通例行事。特に、クリスマスでは彼氏とともに選ぶ若い女性の姿がたくさん確認できた。また、YouTubeを開けば化粧アイテムや化粧テクニックを指南する人たちがたくさんいる。

世間を見渡して言えそうなことは、「化粧は、いいもの」という前提。

ほとんどの女性は、そりゃそうでしょと仰ると思う。こんなことをわざわざ言い出すのは、私たちの苦労を知らない男どもだけよとお怒りになる方もいるかもしれない。たしかに、世の中の女性は程度の差はあれ、みんな化粧をしていると思う。いわゆるスッピンで外を歩くのは、クロックスでコンビニに行く人か日が昇る前に散歩をする人ぐらい。

では、男性の場合はどうだろうか。ジャンレスや多様化が叫ばれる今でも、多くの人は化粧をするのはホストかビジュアル系バンドだと考えている。化粧を「外見を整える行為」と広くとらえるなら、ワックスで整髪したりスキンクリームを塗るのが男性の化粧と言えるだろうか。

対して、女性における化粧は「顔を中心に整える行為」を指す。一度彼女にご教示いただいたことがあるが、様々な器具や化粧品を駆使して顔を整えていらっしゃる。ここまでの話をまとめると、化粧はざっくりと「頭を整える男と顔を整える女」と考えることができる。この大雑把な理解を前提に話を進めると、違和感を覚える。なぜなら、男は頭が整っていなくてもそれほど咎められないが、女は顔が整っていないと非常識に思わえるからだ。

街中でスッピンでいる女性を見ると、何か特別な思想を持っている人、またはだらしない人と解釈される。一方で、世の中にはぼさぼさ頭やハゲ散らかした男性はたくさん見られる。清潔感が足りないなと思われるかもしれないが、社会人失格とまでは思われない。こう言うと、性差別は良くないと主張するフェミニストに思われるかもしれないが、主張したいことは全く別にある。自分が言いたいのは、化粧は必ずしも女性の魅力を引き立てるものではないということ。

某ファーストフード店に、週に2回のペースで通っている。そこには、全く化粧をしない女性と厚化粧をする女性がいる。二人はどちらも20代前半ぐらいの大学生アルバイトだと思われる。たいてい同じ時間帯にいるので、仲の良い友達同士なのかもしれない。当人同士の関係はそうなのかもしれないが、外見に加えて対応も正反対。化粧をしない女性は丁寧で物腰柔らかな感じで対応してくれる。もう一人の女性は、必要最低限の事務的な対応で片手でレシートを渡してくる。この二人から言いたいのは、化粧をしている女性は性格が悪く、していない女性は気品があるということではない。社会(特に男性)が女性に求めているのは、化粧などの外見的なものではなく、所作や言葉遣いなどの内面的な美しさであるということ。

こちらのアンケート結果でも、スッピンは女性のマナー違反だと答える人は2割程度にとどまる。先ほどの例のようなサービス業の場合であれば、「化粧をしているかしていないか」よりも「対応が良いか悪いか」で女性スタッフを評価する。

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日々、時間をかけて外見的なお手入れをされていること自体は、とても素晴らしいことだし否定するつもりはない。また、化粧をすることでスイッチが入るようになったり、化粧することを楽しんでいる人もたくさんいると思う。ただ、社会全体を見る感じでは「女性は化粧をすべき」と考えている人はそれほど多くない。なので、冒頭に触れたパートナーのように「いい大人だからファンデーションをしなければいけない」みたいな強迫観念からもう少し自由になって、女性の美しさの本質について考えてみてもいいのではないだろうか。