Unlimitedに上機嫌

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「男女の友情は成立するか」を、付き合っている者同士が話すべきではない。

ある日、一緒に住むパートナーと”ある”永遠のテーマについて話したことがある。「男女の友情は成立するか」について。

破局の引き金ともなり得る、めんどくさい話題を話し合ったのには理由がある。自分は、週に1回電話で英会話をする友達がいる。彼女は大学が同じで、お互いの英語力向上という至って純粋な理由から始め2年以上続いている。虫の居所が悪かったのか、ある日当然パートナーは「毎週電話している○○さんって、ただの友達?」と聞いてきた。唐突のシンプルな質問にたじろぎながらも、平然をよそいながら「うん、そうだよ」と答えた。浮気を疑っているのか、お互い慎重な腹の探り合いを繰り返した末、自分は「男女の友情は信じていない?」と問いかけた。彼女からは、「ケースバイケース」という曖昧な回答が返ってきた。自らの潔白と気まずい会話を断ち切るため、自分はハッキリと「自分は成立すると思う」と伝えた。前々からそう考えていたし、その時点で嘘はなかった。

まず、英会話をする彼女をどう考えているのかについて話した。こういうのは長くなればなるほど不利になる。シンプルに一言「ただ良い友達」と伝えた。そうすると、彼女からは「恋愛感情に発展することはないの?」と返ってきた。これに対しても、ハッキリと「ない」と答えた。すると、続いて彼女は「女性として魅力的に思ったことないの?」と聞いてきた。「ない!」と言いかけたがとどまった。なぜなら、そう答えることで得られるのは一時的な潔白に過ぎないと直感的に理解したからだ。それに、女性が女性であることを否定することは許されないことだと、自分の良心という名のプライドが語り掛けてくる。「彼女を貶めるな」と。

結局、「女性として魅力的だと思うけど、それは好きってものじゃない」という、誤解されかねない答えを返した。ここから怒涛の詰めがやってくると覚悟しながらも、どこか誇らしげに思う自分がいることに気づいた。絶対に犯してはならない良心は守れた、と。1度劣勢に回った人間に残されるのは、長々と言葉を紡ぐこと。クリーンヒットを撃たれないように、抱き着く敗色濃厚のボクサーのごとく。最終的には情と相手への一途な想いを誠心誠意伝えて終わったと思う。あまり思い出したくないことなので、お互い記憶に蓋をしていると思う。

時間を経た今、改めてテーマについて考えてみたい。そもそも、友情とは何か。自分は、困ったときに助け合う関係だと考えている。自分が金がなくて死にかけている時、男性であろうと女性であろうとお金を貸してくれそうな全ての人にお願いする。男性から順にお願いするかもしれないが、女性だからアテにしないとはならない。逆の立場でも、そう。金を貸すことが本当に必要なのか、を吟味するだろうが、助ける人は性別で差別しない。この時点では、男女の友情は成立する。

問題は、男女の関係に至ることはないか。そもそも、男女の仲とはなにか。よく言われる「ABC」で言うなら、Aも指すのか?それともCのみを言うのか?ここでは、当たり障りのないB以降としよう。地域によって差があるかもしれないので、敢えて言明するとBはキス、Cは性行為を指す。つまり、男女の友情は成立するとは、「困った時に助け合う関係を保ちながら、キスをしない、且つキスをしたいとさえ思わないか」ということにある。この定義に従えば、2年以上英会話をする彼女とは、友情が成立している。少なくとも、自分は彼女とキスしたことも、したいとも思ったことはない。彼女にこの質問をしたことはないので、気持ちは知らない。

自分のパートナーのように、ふと交際相手を疑ってしまうことはある。ここまで人類が繁栄できたのも疑う能力を持っていたからだと思っているので、疑念を抱く人を非難することは誰にもできない。だが、疑いを晴らすためには細心の注意が必要だ。自分たちがやったように、当人同士で「男女の友情は成立するか」について話し合うなんて絶対にしてはいけない。話し合うべきは、疑いを持った人と疑われている相手の友達。正しくはないが、恋敵の2人が腹を割って話すしかない。相手から出る言葉や姿勢から、パートナーとは純粋な友達なのかを判断するしかない。疑われるのはだいたい男で、たいてい疑われている友達をパートナーと引き合わせようとしない。シンプルで信用できるが、実現可能性には欠けた方法ではあるが、一向に疑いの晴れない現状にうんざりしている人たちの参考になれば光栄だ。