Unlimitedに上機嫌

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都会人が言う「雪が降ったね」に突っかかる田舎出身者

田舎から都会に出てきて大きく変わったことに、冬が挙げられる。これから書くことに共感してくれるのは、雪が積もる出身者のみに限られる。自分は、大学進学と機に北陸から関西に移住した。生まれ育った町では、多いときには2メートル近く、少なくとも毎年30センチの雪が積もる。全国的な積雪地帯に比べればまだましだと思うし、年を重ねるごとに積もらなくなったという印象がある。高校に上がってからは、かまくらが作れるぐらいの豪雪は身に覚えがない。かまくらで過ごしたいという少年心を無くしたから、積雪度合いを「かまくらが作れるか作れるないか」で考えなくなったということも考えられるが、ホッキョクグマが抱いているであろう「最近、雪少なくなったな~」という感想を抱いていた。

関西に来て10年近くになるが、雪が降ったと感覚は一度もない。しかし、普段雪を見慣れていない現地の人は、道路で雪がうっすらと覆われた時「雪降ったね~」と興奮気味に話す。また、交通機関も見慣れない雪で簡単に機能しなくなる。1年前だったと思うが、東京では30センチの積雪で交通機関がマヒ状態になり、雪の中を歩いて帰る人が続出したニュースを見た。「記録的な大雪」と報道され、長靴や除雪スコップがバカ売れしたと言っていた。それを見て、窓と同じくらいの高さまで積もる中走る古い電車で通っていた高校時代を思い出した。車両の性能、線路の新しさ、運営人員、全てにおいて都会に劣る田舎の私鉄。こんなことを考えるのはあまりに稚拙だと分かっているが、田舎が都会に勝ったと誇らしくなった。

10年近く見聞きしてきたので、数センチの雪で大騒ぎする都会人には慣れた。まるでお祭りのように盛り上がる人たちに向かって、「こんなの降ったうちに入らない」と水を差しても意味がないことを知っているからだ。しかし、顔や言葉にしなくなった今でも、雪が積もること、積もっていることに動じないことをどこか誇りに感じている自分がいる。それは、人口や遊び場、便利さなど、全てにおいて田舎は都会に劣っているという劣等感の裏返しだと何となく気付きながら。

今年も、大みそかに実家に帰る。今の段階では、向こうはまだ10センチも積もっていないようだ。雪がなければ、肉体労働を強制されないしスニーカーがビショビショになることもない。だが、こっちでは見られない景色を期待している。こっちで「すごい降ったね」という会話を聞いた時に、「いや、うちの田舎に比べれば」と内心で勝ち誇ることのできる根拠を期待している。