Unlimitedに上機嫌

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これってウチだけ?幼少期には理解できなかった我が家のルール

明日からの帰省の荷造りをしていたら、幼少期を思い出した。我が家には、ちょっと変わったルールがいくつかあった。1つ1つ周りの家と比較した訳ではないから、単なる思い込みなのかもしれないが。また、当時はおかしいと思っていただけで、大人になった今は理解できるようになっているかもしれない。家族と会う前に、先に一人で昔を振り返っておこう。

パパと呼ばないといけない

父親は、パパと呼ばないと怒る人だった。怒ると言っても、暴言暴力を振るう訳ではなく、「パパってよびなさい」と指摘するぐらいだったが。彼は昭和生まれの下町育ちで、父親のことは「お父さん」や「親父」と呼んでいたと言っていた。自分が「パパっ子」だったのなら分からなくもないが、なぜパパと呼ばれることに固執していたのか分からない。ちなみに、彼は大変なキス魔でもあった。中学2年ぐらいまでは、お帰りのキスを求めてきた。フレンチキスなら良いのだが、タコさんウインナーのように広げられるので唾がついてとても嫌だった。特に、酔っぱらって帰ってきたときはアルコールの匂いもプラスされて拷問を受けているようだった。さすがに思春期の嫌がる子供を不憫に思ったのか、中2になって以降強要しなくなった。父親とは対照的に、母親は「ママ」と呼ばれることを許さなかった。ふざけて「ママ~」と呼ぶと、真顔で「気持ち悪い」と一蹴された。パパと呼ばれたい男とパパと呼ばれたくない女。その2人は、一番上の子供の独立を機に別れた。子供ながらに夫婦関係は破綻していると感じていて、もしかしたらパパママに関する正反対の考え方から、2人の相性は明白だったのではないかと思う。

友達を読んではいけない

我が家は、自宅に友達を入れてはいけないというルールがあった。理由を聞いたことがあるが、「見せられないから」としか答えてくれなかった記憶がある。一度、母親が外出している時に友達を入れたことがある。友達4人ぐらいと家全体を使ってかくれんぼをした。友達に母親が呼んでいることを伝えられ、下に行くとビンタをされた。人生で一番前触れのないビンタだった。なんとか泣くのを我慢して友達に帰ってほしいと伝えた。そのまま家に残るとお説教されるに違いなかったので、友達を帰したあと家から逃げた。いまだに友達を呼んじゃいけなかったのか分からない。単に居住空間を見られたくなかったのか、いや違う。母親は子供が嫌いだったのだ。母親が離婚して父親と暮らすようになってからは、何度か友達を入れたことがある。父親はほとんど家におらず母親と前提が異なるが、夫婦間で共通の価値観をもつのは難しいのだと今になって思う。

テレビゲームはダメ

これまで家でテレビゲームをしたことがない。なぜなら、買ってもらえなかったからだ。何度も聞いたことがあるがあんまり覚えいていない。当時は超重要だったことも、どうでも良いことに変わると忘れるものだ。たしか。テレビゲームがあると外で遊ばなくなるという理由だったと思う。テレビゲームは買ってくれなかったが、パズルや脳トレ、変身ベルトなどのおもちゃは買ってくれた。頭を使うものは買う、使わないものは買わないという明確なルールがあったのだと思う。しかし、小学校4年生の時にはDSを買ってくれた。クリスマスの朝、枕元にDSの本体とマリオカートのソフトが置かれていたのを覚えている。ただ、2本目以降は「脳を鍛える大人のDSトレーニング」や「やわらかあたま塾」などの「頭を使う」系に限定された。リズム天国ゴールドも買ってもらえた気がする。今となっては、テレビゲーム禁止ルールには感謝している。親の目論見通り、テレビゲームがあったら外で遊ぶ頻度もそれによって養われた運動神経も手にできなかっただろう。いつか自分が親になったら、ゲームのほかにスマホを与えるタイミングで悩むだろう。すでに小学生で持つのが当たり前となっているようだし、10年後には子供が生まれる前に計画しておかないといけなくなっているかもしれない。